福沢諭吉の帝室論

皇室を尊重するとは如何に。それは皇室を、政治をもって煩わし申してはならぬというに帰する。皇室は政治の外に仰ぐべきものであり、またかくのごとくしてこそはじめて尊厳は永遠のものとなる。
自ら政治の衝に当られぬとして、しからば皇室の御任務は何処に存するのであるか。それは、実に、日本民心融和の中心とならせらるることである。
政治上の争いは苛烈なもので、或いは火の如く、水の如く、或いは盛夏の如く、厳冬の如くであろうけれども、「帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば、悠然として和気を催す可し」。
政府の法令はその冷なること氷の如く、その情の薄きこと紙の如くであるけれども、「帝室の恩徳は其の甘きこと飴の如くして人民これを仰げば以って其の怒りを解く可し」。
政府や国会の為し得るところは、畢竟、悪を懲らし、罪を罰する以上に出でず、善を勧め、功を賞することに至っては、ただひとり皇室の能くし給うところである。(学問技芸の奨励)。
  『平生の心がけ (講談社学術文庫)』(小泉信三 講談社学術文庫

憲法発布時期の内閣は第1次吉田内閣ですが、その前の幣原内閣では、吉田茂は外相にも就任していて、ちょくちょく天皇から御下問を受けていたわけです。46年(S21年)から47年(S22年)にかけて新憲法を発布する段階が近づいていたわけですが、ある時、民主主義下における天皇の在り方はいかにという御下問があったんだそうです。即答できず、側近の助言で戦前の時代においても、民主主義下における天皇の在り方について議論した人がいる。それが福沢諭吉であったわけです。福沢諭吉明治15年明治憲法が発布される前の段階で、民主主義下における天皇の在り方を『帝室論』と題し発表しているんです。それを吉田さんがお読みになって、慶応義塾出身の学者にあって話を聞きたいというので、小泉さんとお話をされるようになったということを僕は聞いています。
 (武見敬三 東海大学教授)