戦後の日本国憲法と天皇

 物事を改革するには自ら緩急の順序がある。かの振り子が滑らかに動くのは静かにこれを動かす結果である。急激にこれを動かせば必ず狂う。この振り子の原理は予の深く常に留意する所である。改革しても反動が起こるようでは困る

昭和天皇が戦後の日本国憲法公布後も政治に関与していたことを知ったのも崩御のあとだった。いまではすっかり有名になった「振り子の原理」の話も岩見隆夫氏の『昭和天皇と戦後政治 陛下の御質問 (文春文庫)』(1992年。文春文庫が2005年)で知った。
戦後初の社会党内閣だった片山首相(昭和22年)への連絡事項として、首相友人の木下道雄氏を通じ「片山は誠に良き人物と思うが、面識浅き為予の真意をいまだ良く呑み込みおらざるように思うから、木下から友人の間柄をもって良く諒解させよ」として伝えた言葉であるという。このように間接的な方法で、多くは直接『ご質問』の形で時の首相に問題のあるやなしやを指摘されていたようなのである。
(読書)「陛下の御質問」
私はどちらかというとこうした天皇像はありかなと思っている。一般論として天皇の意向に従う形で政治が左右されることはないはずである。左右されるとしたら天皇の言葉に威厳があり、的確な指摘があった場合だけであるから、国民にとっても悪いことではない。
たしかに天皇の資質は天皇個人のものであるから政治のシステムとして機能することを期待することはできない。しかしである。天皇というものは、代々の天皇の歴史を背負ってその地位を国民に負託されている。幼少のころから御進講を受け、内奏を受け、首相、閣僚より長期間にわたって国政を身近にかつ真剣に眺めてきておられる。今上天皇の代になってもシステムとしての有効性は失われていないはずである。さすがに昭和の代と違って戦前からの伝統は影を潜めて内奏もなく、あっても形式的なものにすぎない。それだけにこんな事件がもちあがったりする。
本当なら切腹もの〜田中真紀子の天皇内奏漏洩(週刊新潮10/18号)