4.今こそ、国民総力で皇室を守るとき

  • 女系を容認しない限り、危機は続く

秋篠宮紀子様が男の子を産んだら、旧宮家の復活などという机上の空論(旧宮家の復活というアイデアには具体的な宮家リスト・皇族候補リストがない)には誰も見向きもしなくなる。しかし、9月に産まれるのが男の子でも問題は解決しない。仮に「男系が完全に途絶えるまでは女系移行に反対する」というのでは、女性宮家を創ることができない(女系容認となるので)。そして女性宮家を創らないままに、秋篠宮の皇子に嫁す人がいなかったり、子が授からなかったりすれば、皇室の断絶は決定的になるのである。
よく「皇室典範を変えなければいずれ皇位秋篠宮殿下に移る。どうしても親王が不在なら眞子様を次の天皇にすればよい。つまり女系を認めるにしても今急いで皇室典範を変える必要はないのだ」という意見を拝見する。これは完全に間違っている。秋篠宮皇位が移るのが40年後と仮定すると、眞子様は結婚して皇族ではなくなっているであろうから、天皇になる資格もないことになる。このように、天皇になれる条件が、【1に天皇の子孫であること、2に皇族であること】が頭に入っていない人が多いのに驚く。

女系を容認すれば少なくとも女性皇族にかかるプレッシャーは8分の1以下になる。

    • 次代の天皇は男の子でなくてもよいことで2分の1。
    • 兄弟姉妹だれの子でもよいことで2分の1。
    • 宮家の数が倍増することで2分の1。

この違いは大きい。少なくともバッシングされる悲劇は大幅に減ることになる。そもそも旧宮家の男系男性の子どもが天皇になる可能性は、旧宮家の男系男性が現在の皇族女性(内親王3名女王5名のいずれか)と結婚した場合しか考えられない。それも女系容認となる女性宮家を創ることを前提にして始めて実現する話である。
72歳の誕生日を迎えられた天皇陛下が、女性皇族について「その場の空気に優しさと、温かさを与え、人の善意や勇気に働き掛けるという非常によい要素を含んでいる」と述べられているのに、国民の側がいつまでも男系に固執していてよいわけがない。
こうしたわけで皇室存続のためには、内親王や女王が結婚しても皇族から離れないようにお願い申し上げる必要がある。そのように皇室典範を変える必要がある。急いで変えるべきだ。

  • 旧宮家の復活はリスクを増大させるだけ

確かに、「皇族男性が途切れたそのときこそ、旧宮家の男系男子の出番だ」と主張することもできる。しかし、これまで述べたように、天皇になれるのは現役皇族だけである。
皇位の特質は、皇統に属する皇族在籍の方々のみが継承されること。根本的に重要なことは、天皇の子孫として皇族の身分の範囲内にあり、皇位継承者としての自覚をもっておられるかどうか。万世一系天皇とは、天皇位が必ず皇族の籍を有する方に継承されるという意味。旧皇族の復帰を安易に認めるべきでない」(所 功)

先人達が君臣の別を第一義的に考えてきたのは当然のことであった。
民間人であれば、さまざまな人々との付き合いだとか、金銭関係など、「世間のしがらみ」に縛られている。仮に「天皇」(もしくは天皇の親)となる人が特定の人に「弱み」を握られ、その人の意思に操られて行動するようなことがあれば、それこそ天皇制の危機である。
もし仮に、現在の皇族の中からでなく、旧宮家から天皇が出るとなると、経歴や人格に問題のある方が天皇になることも起こりうる。家族、親族含めてスキャンダルがないとも言い切れない。その際に、皇位継承順位を出生順位など機械的な順位にするのか、他に方法があるのか、どうなるにしても悩ましい問題になること必至である。
これがもし皇族女子との結婚という形をとるならば、経歴や人格を調べた上で選択することも可能になる。問題が生じたとしても、生まれた子が天皇になれるのは、女系の血筋で天皇になる資格を受け継いでいるからであり、瑕疵は最小リスクに抑えられる。もし、旧宮家男子が民間人女性と結婚して、生まれた子どもが天皇になるのでは、瑕疵ある場合のフォローがなく、リスクは最大となるのである。


そもそも「世襲」とは「結婚」「出産」という目に見える形で、親から子へ真っすぐ受け継がれていくものである。国民は、そのような繋がりで天皇の前の天皇もその前の天皇も大変良く知っていて、日本国の歴史的な連続性を実感している。ところが、「一夫一妻制・女性の高学歴・晩婚化・少子化」のもとで男系主義を貫こうとすると、「たまたま男子が生まれた宮家に皇位が移っていく」しかない。それでは「国民との紐帯」意識が薄まってしまう。「女系容認だが男子優先」を採用した場合も同じことである。だからこそ「女系容認かつ長子優先」への転換が必要なのである。

さて、内親王天皇になり、その子がまた天皇になるということには何ら問題はないのだが、果たして配偶者が得られるかどうかは先例がないだけに心配ではないか、というのはもっともである。
たとえば、「英国など欧州の王国ではノブレス・オブリージュの考え方を身に着けた貴族階級が存在し、女系でも王室を維持できる基盤があるのだが、日本にはそれがない。日本は戦後、華族制度を廃止した。国のために働くということ、いざとなったら皇室のために人生を捧げるということを教育をする家も学校もどこにもないのである。女性天皇の旦那になるという覚悟を持つような教育を受けている男性が日本社会にはいない」(日本では女系天皇は難しいと思うワケ。 | かみぽこぽこ。 - 楽天ブログ)という意見もある。
しかし、日本の華族制度は、廃止されたが打倒されたわけではない。華族は抹殺されたわけでも胡散霧消してなくなったわけでもないのだ。旧五摂家(近衛、九条、二条、一条、鷹司)、旧清華家(久我、三条、西園寺、徳大寺等九家)などの由緒ある家柄の男性は、互いに惹かれるものがあるならば、内親王の配偶者になることを躊躇しないはずである。
また、「女性天皇と祭祀」「長子優先と男子優先」「配偶者男性の処遇」等を課題として検討するに際しては「終身」のリスクも考察されるべきである。現皇室典範に譲位や退位の規定がないのは、こうした課題が生じていなかったからである。また、天皇が100歳以上長生きする可能性(認知症や延命治療をともなう場合も含めて)を想定していなかったからでもある。このようなわけで、「終身」のリスク(次に皇位を継ぐべき者が70歳まで皇太子時代や摂政時代を送ることもありうる)への対策も問われることになるに違いない。

今、必要なのは、将来の皇位継承に備えて皇位継承の基盤を充実させることではないかと存じます。すなわち、神武天皇以来の男系の血筋を引いた宮家の数を増やしておくことということであります。このままでは皇族自体が絶滅いたします。
そこで、新井白石の事績に学ぶ必要があると存じます。「『平成の新井白石』出でよ!」ということでございます。
八木秀次高崎経済大学助教授)

江戸時代に世襲親王家である宮家(伏見宮桂宮有栖川宮)があったにもかかわらず、新井白石の進言によって閑院宮家が創設された(1710年)。その初代直仁親王は、113代東山天皇の皇子である(実兄に114代中御門天皇)。閑院宮家が創設されたのは、世襲親王家伏見宮桂宮有栖川宮)が天皇の系譜から離れすぎてしまったため、皇位継承先として適当でないという判断が働いたものと推察できる。実際に、1779年に118代後桃園天皇が22歳の若さで崩御したため、直系の皇子がいないという危機を迎えたとき、119代天皇世襲親王家からではなく、閑院宮家から出ている(東山天皇の3世孫にあたる光格天皇)。この事蹟に倣えば「平成の新井白石」は、八木秀次助教授が望む旧伏見宮系の宮家の復活を否定し、女性宮家の創設を進言するはずだ。すなわち『皇室典範に関する有識者会議』、あるいは小泉純一郎こそ「平成の新井白石」にふさわしい。
平成の危機は始まったばかりである。女系天皇を批判すればするほど皇室を危機に陥れることになる。それは男系主義者にとっても本意ではないはずである。そもそもボタンの掛け違いは、八木秀次氏の早とちり、先走り(ミスリード)から始まっている。論理的に納得できる原点に立ち返り、今こそ、「男系」「結婚」「終身」を皇室が抱えているリスクと理解し、早急に対策を立て、国民総力で皇室を守るときである。