昭和天皇の戦争責任

わたしの国民はわたしが非常に好きである。わたしを好いているからこそ、もしわたしが戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民はわたしを精神病院か何かに入れて戦争が終わるまで、そこに押し込めておいたにちがいない。
また、国民がわたしを愛していなかったならば、彼らは簡単にわたしの首をちょんぎったでしょう

開戦の際、東条内閣の決定で私が裁可したのは立憲政治下に於ける立憲君主として已むを得ぬところである。
もし己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は、専制君主と何等異なる所はない。
終戦の際は、然し乍ら、之とは事情を異にし、朝議がまとまらず、鈴木総理は議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。今から回顧すると私の考えは正しかった。陸海空軍の兵力の極度に弱った終戦の時に於いてすら、無条件降伏に対し「クーデター」様のものが起こったわけだから、若し開戦の閣議決定に対し、私が「べトー」(拒否)を行ったとしたならば、一体どうであろうか。(中略)
国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない。それは良いとしても、結局、凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであろうと思う。
    『昭和天皇独白録 (文春文庫)

私は大きな感動に揺すぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきでない責任を引き受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格において日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。
 (昭和39年1月25日 朝日新聞 マッカサー回想記)

天皇の権威は戦争を終結させたとき、明確に立証された。同様に、開戦の責任は天皇にある。天皇が裁判を免除されたことは、すべて連合国の最善の利益のために決定された。証拠によれば、天皇はつねに平和を支持したことを付言することが、天皇にも公平である。
  (ウェップ極東国際軍事裁判長 東京裁判判決での個人意見として )

天皇をどのようにお考えですか」
「神だ、あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは、神でなければできぬ。そうじゃあないか」
  (同ウェップ裁判長 文芸春秋 昭和50年12月号)