皇室典範改正論議が日本国民に突きつけているもの

      • やや下火になった感のある皇室典範改正論議であるが、この問題の重要性、緊急性はいささかも失われていない。最大の危惧は「皇族がいなくなるかもしれない」という惧れである。また皇室は、「男系」「結婚」「終身」といった大きなリスクに晒されている。このままでは皇室は生き残れないかもしれない。ここに私の皇位継承問題意見(下記項目)をまとめて掲載し、冷静に議論を整理したいと考えている読者諸氏への問題提起としたい。

        天皇の資格条件
        「国民との紐帯」としての天皇天皇
           政治家でないものが君臨する意義
           政治に関わらない皇室
           国民を庇護する祭祀国

        皇族による世襲は守らねばならない
           君臣の別
           皇族は天皇の5世孫以内

        男系継承は皇室の選択に任せるべき
           男系継承は必要か
           男系継承の難点
           内親王と男系男子の結婚

        今こそ、国民総力で皇室を守るとき
           女系を容認しない限り、危機は続く
           旧宮家の復活はリスクを増大させるだけ
           女性天皇の最大リスクは「結婚問題」か
           平成の新井白石は誰か

天皇の資格条件


天皇の条件は3点ある。第1に日本国の象徴的存在として国民と信愛の紐帯で結ばれていなければならない。第2に皇族による世襲でなければならない。第3に天皇の子孫たる男系男子であることが求められている。
この3条件を完備している次代の天皇候補者は現皇太子と秋篠宮殿下のお二人だけであり、その後となると、9月にお生まれになる秋篠宮殿下の第3子の可能性以外に存在していない。したがって、天皇制の存続を願うならこれまでの伝統を変える決断を強いられることもありうる状況にある。
女性天皇を実現するためには、「男系男子」の原則を捨てねばならないし、何より最大の懸念は、「今の皇室典範のままでは皇族が一人もいなくなってしまう恐れがある」ことであるから、さらに必然的帰結として「男系」の伝統も捨てることを決断せざるをえない。
旧宮家皇位を移すことができれば「男系」の伝統は守られるが、「皇族による世襲」という伝統を破ることになる。


いずれ伝統を変えることは避けられないとしたら、問題はどの伝統を守り、どの伝統はあきらめるか、ということになる。「皇族による世襲」と「男系による継承」を比較して、残すべき伝統はどちらかという問題なのである。そこで、天皇の3条件をもう一度吟味してみると、第1の条件「信愛の紐帯」は必須であり、根幹をなすものであるが、第2、第3の条件は、第1の条件のために必要とみなされている副次的な条件、あるいは形式上の条件である。どちらかというと、第2の「皇族による世襲」は「信愛の紐帯」を成立させるために必須といえる条件であるが、第3の「男系男子」は絶対ではなく、「望ましい」という部類の条件ということにならないだろうか。



「国民との紐帯」としての天皇天皇

  • 政治家でないものが君臨する意義

明治政府が日本国を対外的に独立した統一国家として樹立するために腐心したのは、国の中心をどうするかという問題であった。欧米の民主主義国に倣って政党政治を国家運営の基盤にすることは決まっていたが、政党政治に国家の運営をすべて任せることの愚も自明であった。およそ政治家というものは強欲にできていて、権謀術数に長けたものがボスになるものである。最悪の場合は、国家を分裂の危機に晒すことにもなろう。幸い日本には天皇を仰ぐ伝統があったから、国家の中心に天皇を持ってくるのは了解済みの定めであった。「天皇と政治家の首班」の違いは「世襲か選挙か」の違いである。首班では、その国家における歴史的な連続性というものを体現できない。さらに致命的なのは、国家元首に求められる尊厳や威厳、あるいは高貴な品格などが、選挙期間におけるスキャンダル合戦などで大いに損なわれることもある。そもそも贔屓をつくり贔屓によって選ばれるのが政治家である。このような者に信を置くことはまかりならない。かくして、政治家でない者が国家の中心にいる意義は大いにあった。それでも、天皇の権威の絶対化と、憲法上の位置づけについては腐心せざるをえなかったのである。

その明治政府が参考にしたのは、いうまでもなく英国の立憲君主制である。とくにバジョットの『イギリス憲政論』であった。
前にも紹介したが、バジョットのイギリス憲政論の中にこういう部分がある。

国民は党派をつくって対立しているが、君主はそれを超越している。君主は表面上、政務と無関係である。そしてこのために敵意をもたれたり、神聖さをけがされたりすることがなく、神秘性を保つことができるのである。またこのため君主は、相争う党派を融合させることができ、教養が不足しているためにまだ象徴を必要とする者に対しては、目に見える統合の象徴となることができるのである

また、バジョットは、「立憲君主は三つの権利、すなわち相談される権利、奨励する権利、警告する権利を有する。君主は在位期間が長くなればなるほど政治界の長老として貴重な役割を果たしうる」とも述べている。

長い統治期間の間には、聡明な王は、閣僚などが及びもつかないような経験を積むものである。
立憲君主制の下に於いて国会の支持を受ける首相が、政治の全責任を負うべきはいうまでもないことである。しかし頻々更迭する政治家が、どうかすれば、今日のために後日を忘れ、党のために国を忘れる惧れのあることは、政治家自らよく承知している筈である。もし今有為な政治家があって、平生談笑の間に、前段に述べてきたように、国と国民の利害に対し特殊の感覚と見識とを抱く君主の意見を聞く機会が多ければ、それは自他のため、きわめて大きい利益であろう。
このようにして立憲君主は、道徳的奨励者及び警告者たる役目を果たすことが出来るといえる。

  • 政治に関わらない皇室

バジョットに触発されて福沢諭吉は帝室論を書いた。今上天皇が皇太子時代の教育係でもあった小泉信三が次のように要約して紹介している。

皇室を尊重するとは如何に。それは皇室を、政治をもって煩わし申してはならぬというに帰する。皇室は政治の外に仰ぐべきものであり、またかくのごとくしてこそはじめて尊厳は永遠のものとなる。
自ら政治の衝に当られぬとして、しからば皇室の御任務は何処に存するのであるか。それは、実に、日本民心融和の中心とならせらるることである。
政治上の争いは苛烈なもので、或いは火の如く、水の如く、或いは盛夏の如く、厳冬の如くであろうけれども、「帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば、悠然として和気を催す可し」。
政府の法令はその冷なること氷の如く、その情の薄きこと紙の如くであるけれども、「帝室の恩徳は其の甘きこと飴の如くして人民これを仰げば以って其の怒りを解く可し」。
政府や国会の為し得るところは、畢竟(ひっきょう)、悪を懲らし、罪を罰する以上に出でず、善を勧め、功を賞することに至っては、ただひとり皇室の能くし給うところである。(学問技芸の奨励)。

戦後の皇室は、今まで以上に、スポーツ振興だとか、文化振興とか、発明・発見の奨励とか、日本の向上に役立つ具体的なことを多くされながら、また外国の要人と親しくふれあうことで国際関係の構築・改善にも貢献していただいている。
また、古くからの皇室の伝統である福祉施設への訪問や被災地への慰問に表現されているように、国家が国民を尊重することや、国民同士が世代を超えた同族性を確認するという行為を、広く国民へと敷衍させている。日本の地位を高め、個々の日本人には心の安寧まで与える、こうした一連の激務を、愛情をもって行っていただいているその事実が、現在の国民をして天皇に対し自然に敬愛する紐帯を育んできたのである。
象徴天皇に込められているのは「日本国は親和性ある民族を母体としており、この国民の親和性を永久的なものにしていきたい」という日本国民の意思表明にほかならない。

  • 国民を庇護する祭祀国

天皇神道の司祭者的な地位でもある。神道という教義がない自然宗教の司祭者を国家の最高位の存在として祭ることで、排他的なカルト宗教や独裁的な政党が国を乗っ取ることを抑止している。日本人の多くが無宗教でいても迫害されないのは天皇制のおかげである。そして戦後、中国や北朝鮮、東欧の共産主義国のように同胞による大量粛清・迫害の悲哀を味わずに済んだのは、昭和天皇のおかげである。
よく天皇のことを「政治的に中立」な存在として理解するが、これは間違いだ。近代天皇制は共産党のような絶対的教義の政党が政権を握ることを拒否する国家体制なのである。昭和天皇が戦争終結に際して「国体護持」を第一義的に掲げたのも、日本国再興のためにアメリカに支援を求め、身内から「天皇退位論」があったにもかかわらず天皇の地位にとどまることを決断したのも、すべて、日本に共産革命政権ができることだけは何をおいても防ぎたいと考えたからである。
つまり昭和天皇は「ヘーゲル立憲君主論」の信奉者としての側面も併せ持っていた。

国家は市民社会の分裂を停止させるために創出されたが、今度は国家権力を握ろうとして四分五裂する。国家は一つである。つまり分裂してあってはならない。だから当然、その中心は一つでなければならない。しかもこの一つがつねに変化するのであれば国家の安定もままならない。またこの一つが国家を勝手に動かしうるならば、多数意志(デモクラシィ)と衝突する。デモクラシィと衝突せずに国家の中心にしてナンバーワン(一者)たりうるものこそ、国家の概念的統一(象徴)である君主(一者)である。

この一者は、政治の実権を持たず、署名することをもっぱらとし、その地位は世襲によって決まる。一者の子以外は一者になれない。したがって、実質上の最大権力者も一者になることは出来ないし、この一者に比すれば権威において劣り、つねに下位者としてふるまわなければならない。何よりも彼の地位は有期限である。

独裁的に振りまわさないかぎりにおいて、君主(一者)が存在することは、デモクラシィにとって不幸なこと、不備なことではなく、幸運なこと、不備を補完することを意味する。

では、このような天皇天皇制というものを存続させるためには何が必要であろうか。明治政府は、「君臣の別」すなわち「天皇の位が必ず皇族の籍を有せられる方によって継承され、皇族以外の他姓の者に皇位が移されたことは絶対にない」ということを最重要視した。
歴史上は、3年間、臣籍にあった1世の皇子が天皇になったという例外があるが、明治時代に悪しき例外とされ、上下の名分(皇族と一般国民の区別)を厳守することが天皇天皇制には必須の要件とされた。現皇室典範もこの精神を受け継いでいる。1世の皇子でさえ、悪しき例外とされたほど「君臣の別」を重要視したのである。



皇族による世襲は守らねばならない

  • 君臣の別

天皇になれるのは天皇の子孫で皇族であること。一度皇族でなくなったら、その子孫も皇族になれない。臣下の者が皇位につくことを厳しく排除してきたのは「君臣の別」を大原則にしてきたためだ。臣籍の人間(民間人)となると、友もできれば、敵もできる。友にせよ、敵にせよ、生臭い話がついて回るから皇室に入れるわけにはいかなくなるのである。臣籍の人間の中には、思想的に今上天皇や現皇太子が好きでないため、旧皇族から天皇を担ぎ出そうとしたり、旧皇族を利用して何かをなしてやろうという考えの人がいないとも限らない。
この点で、皇族には多くの制限が課せられている、選挙権も被選挙権もない(法律で明文化されているわけではないが「戸籍」がないので)。そればかりか、言論や宗教や職業選択も制限され、結婚も自由にはできない。その上、皇室独特の伝統にも従わねばならず、金品の授与も自由ではない(皇室経済法など)。こうした制限が課せられていなかった民間人を皇族として迎え入れる場合には慎重な行状審査が行われる。皇族男子が勝手に結婚相手を選べないのも、このためである
旧宮家から次代の天皇を」というのは「皇室の伝統」からすると乱暴な議論である。旧宮家の人々は、皇族としての制限から解放され、自由な結婚、自由な発言、自由な活動が可能になっている。「君臣の別」の原則が当然適用されよう。


  • 皇族は天皇の5世孫以内

象徴天皇は生まれながらの皇族の血統でなければならない
つまり(1)皇族の子(天皇の5世以内の子孫)として生まれ、(2)皇室で育ち、(3)一度も民間人になったことがない人間だけが天皇になれる資格がある。

皇統は一系にして分つべからず。天皇直系の子孫在す限りは、子孫皇位を承けたまふことを古来の正法とす。(中略)皇位を承けたまふべき皇胤は、直近の天皇の直系の子孫たるべきことを正則と為す。
               (『帝室制度史』第三巻第二款「皇位の一系」)

天皇になれるのは皇族に限られる。伝統として守られてきたのは「天皇から4世以内」の皇族ということだ。唯一の例外が継体天皇の例である(応神天皇の5世孫)。
謙虚な目で皇室の系図を見てもらいたい。
系図を調べてみれば、皇統が直系を離れて傍系に移った例などほとんどない。天皇の地位に就く人物は、一部の例外をのぞいて、みな天皇の子または孫である。古代から明治初期まで、継嗣令という皇位継承の法律が使われていたのだが、継嗣令によれば「皇族は天皇の5世孫」までで、それよりも血脈の薄い子孫は臣籍とされている(法令ができた初期は4世孫までだが、後に5世孫までに改正された)
つまり、天皇に即位する者は、過去のいずれかの天皇の5世孫までとされていた。どんなに優秀で、政治力があっても、先祖が天皇というだけでは天皇になる資格がなかったのだ。
皇位継承において先帝と後継者の間柄が離れている、いわゆる傍系継承の場合もあるが、大事なのは皇位継承者が「過去のいずれかの天皇の5世孫内の血脈を持っていること」なのだ。
しばしば前例として持ちだされる、第48代称徳天皇と第49代光仁天皇はきわめてあいだの離れた皇位継承だが、光仁天皇天智天皇の孫であり、継嗣令で認められた皇族である。この継承は天武天皇系から天智天皇系に皇位が移った事例であって、けっして傍系の血の薄い子孫が即位した前例ではない。
同じことは今上天皇の祖先である光格天皇にもあてはまる。
119代光格天皇は118代後桃園天皇との血縁では遠い傍系であったが、113代東山天皇の3世孫という皇族であったから資格者たりえたのである。
これを系図で現すと東山天皇―■―■―光格天皇となる(■は不即位者)。
なお王、女王までが皇族であり、世襲親王家以外は、天皇の1世(現典範では2世まで)が親王内親王以下、5世までが王、女王とされていた。

    • 女系で繋がる皇統

歴代天皇の中で、もっとも血の薄い人物が即位した前例は古代の継体天皇親子だが、それでも応神天皇の5世孫だ。しかも継体天皇親子3人(継体、安閑、宣化)は、仁賢天皇の皇女(内親王)3姉妹と結婚している。
江戸時代の光格天皇の場合も、閑院宮典仁親王の第6皇子8歳を養子として迎え入れられたのち、まもなく即位させ、そして後桃園天皇の娘(欣子内親王)を皇后としたのも、血の薄い傍系の男子が内親王の婿養子になることによって、皇位を継いだ実例である。
なぜ第6皇子が天皇になれたのか? 
いうまでもなく、年齢的に内親王の結婚相手として相応しかったからである。

先代の内親王と結婚しても、皇位を継いだ第120代仁孝天皇は結局側室の子であったが、欣子内親王の実子として公称された。側室の子を実子と公称するのは異例のことであり、この異例が後の明治天皇の事例の前例になっている。やはり仁孝天皇の出自については、真相を公の場から隠し、後桃園天皇の血が絶えていないという虚構を作る意図があったことになる。
女系で繋がっている皇統の例
第21代雄略天皇−春日大郎皇女−橘仲皇女−石姫皇女−第30代敏達天皇−糠手姫皇女−第34代舒明天皇−代38代天智天皇

天皇の男系の子孫であれば天皇から何代離れていようとも天皇になることができるというのは誤解である。皇位継承権があるのは、5世王までだ。
では天皇から既に20世も離れてしまった伏見宮に戦前なぜ皇位継承権があったのか? これは親王宣下(しんのうせんげ)を受けていたからだ。天皇から5世以上離れていても、親王宣下を受けた皇族には皇位継承権があった。ただし一代限り、その子供は改めて親王宣下を受けないと皇親にはなれない。


世襲親王家を継承する皇子は、天皇の「猶子」(ゆうし 擬制的な父子関係を築く制度)とされ、社会的に「天皇の子」となる。しかる後「親王宣下」を受け、ここで初めて親王の称号を賜る。「親王宣下」・「猶子の儀」の諸制度により、「世襲親王家」の歴代当主は本来なら天皇の実子しか名乗れなかった「親王」の称号を得る事ができ、皇室同様、側室の子供であろうとも5世以上に血が離れていようとも「皇親」であり続ける事ができたのだ。

 戦前の旧皇族は室町初期の崇高天皇の20世孫以上!そこまで遡っての継承は室町中期以降の天皇の血が入っておらず、もはや世襲とは言えない。それゆえに大正8年(1919年)、世襲親王家も長男の系統の8世孫までを皇族とし、それ以上は臣籍降下させることになった。伏見宮系の皇族は明治天皇の皇女が嫁いだ先が皇族にこだわったので、特例で天皇の養子だった邦家親王天皇の皇子とみなし、それから4世孫までの猶予を与えたにすぎない。つまり19世まで皇族とし、それ以上は臣籍降下させることになった。昭和天皇の初孫やJOC会長の長兄までしか皇族でおれず、その子息は臣籍降下して侯爵になっておしまいの予定だった。それに竹田宮東久邇宮は皇女を娶らねば皇族でいることを許されなかったのである。したがって旧11宮家の現在の当主は親王宣下を受けていないし、旧皇室典範に基づく規則により、たとえ敗戦を迎えず旧宮家が存続していたとしても、1945年以降に生まれた旧宮家男子は皇族を離脱する運命にあったのである。GHQの命令がなければ皇族だったという理屈は通用しない。
ちなみに伏見宮家があまりにも遠すぎることは江戸時代から問題になっていたので、伏見宮の当主が子なくして亡くなったときに、皇室から皇子を入れたことがある。ただ不運にも子がないままなくなったので、結局伏見宮家には20世以上も天皇の血が入らず来てしまったのである。

血統を異にする過去の皇統に対して平安時代の宮廷人がどのように考えていたのか、そのようなことを教えてくれる確たる資料は見いだせない。しかし時代は下って鎌倉時代末の『神皇正統紀』には、当代の帝を基に、血統が遡る皇統とそうではない皇統とを優劣をつけて明瞭に区別する視点が示されている。
同書は皇位継承を二種に分け、「万世一系」でいうところの歴代通常の皇位継承を「凡その承運」と称し「代」で表し、当代から父子で遡る系譜を「まことの継体」と称し「世」で表して、後者を「正統(しょうとう)」として重視するという認識である。
当代を基準に直系か否かで「代」と「世」を区別する皇統認識があった。
http://www.scs.kyushu-u.ac.jp/coe/seminar/iden/050902.htm

天皇系図には正統系図と傍系系図がある。旧宮家から天皇を出すと102代後花園天皇から今上天皇まで600年の正統を否定して、崇光天皇から旧宮家現当主まで20人ほどの不即位者で繋いで新しい幹を作ることになるから、天皇の血筋を正統とする皇位継承のやり方として通用しない。
もし、旧宮家の子孫が天皇に即位するとなると次のようになる。

93代後伏見天皇−北1光厳天皇−北3崇光天皇栄仁親王−貞成−貞常−邦高−貞敦−邦輔−貞康−邦房−貞清−邦尚−貞致−邦永−貞建−邦頼−貞敬−邦家(11宮家すべての父祖)−能久−(ここまで親王宣下をうけた親王)−恒久王−恒徳王−(ここまでが王。このあとは臣籍降下で民間人)-竹田恒治−竹田恒泰−128代天皇?


天皇天皇の間を不即位者20人で繋いだら血筋からしてもNGだ。せめて4、5代前の天皇には繋がっていないと新しい系図を作りようがない。


男系継承は皇室の選択に任せるべき

  • 男系継承は必要か

「この設問自体おかしい、男系継承は皇室の伝統であって、必要か否かの問題ではない」という反論があるかもしれない。しかし、「男系継承の伝統を守るために旧宮家の復活を」という主張となると、伝統論では済まなくなっている。なぜなら、前項で論じたように男系継承の伝統を守るために皇族による世襲という伝統を破ることになるからである。

    • 「臣籍にあったのは、たったの60年。非常時であるから、目をつぶってよい」というのは首肯しがたい。60年経過したということは、「一度も民間人になったことがない人間だけが天皇になれる」に反している。「とにかく皇族になっていただくことが大事で、天皇になるのは、これから生まれてくる男子に限ればよいではないか」という主張に耳を傾けないわけではないが、問題になっているのは、「生まれも育ちも民間人でしかない旧宮家の方々を皇族にする方法はあるのか」ということなのだ。伝統に則ったやり方で皇族にできなければ、これから生まれてくる男子も、「皇族の子として生まれた」ことにならないから天皇になれないはずである。
    • 天皇になれるのは天皇の5世孫以内という伝統も旧宮家ではクリアできない。旧宮家には明治天皇内親王昭和天皇内親王が嫁いでいるため、女系でよければ4世孫や3世孫にあたる独身男性が複数存在する。しかし、女系の血筋でよいなら、眞子様佳子様愛子様の子は今上天皇の3世になるから、血筋の濃さで旧宮家より優先される(現皇太子が天皇になれば、愛子様の子は2世であり、愛子天皇が実現するなら、愛子天皇の子は1世ということになる)。
      あくまでも男系ということにこだわり、旧宮家天皇とのつながりを論じるとなると、20世も離れているから、旧宮家を特別視することはできないことになろう。男系で見れば、江戸時代に皇籍を離れた皇族の子孫のほうが歴代天皇に近い。たとえば摂家清華家などの公家には皇子が何人もはいっているし、天皇家から皇女を迎え入れて、血縁を深めてもいる。

こうしたわけで、皇族による世襲の伝統よりも男系継承の伝統を優先させるためには、論理的になぜ男系継承が必要なのかを説明しなければならないのである。
さて、これまで男系継承の必要論として言われているのは、

  1. 神武天皇Y染色体は男系によってしか継承されない。
  2. 女系を認めると、配偶者男性の子が天皇になるから易姓革命がおこる(別王朝の誕生)。
  3. 女系でもよいとなると天皇につながる人は無数にいるので、それこそ君臣の別がなくなる。

というものである。
そこで個々に検討してみよう。

  1. この意味でのY染色体所有者は、市井にも存在するから、むしろ旧宮家皇位継承させる根拠を弱めることになる。
  2. 天皇家にはそもそも姓はなく、配偶者男性が婿入れし皇族になるときは、姓も身分も捨て、義理からも遠ざかることになるから易姓革命にならない
  3. 君臣の別は「皇族か否か」の別であるから、皇族でない者が、天皇との血筋を強調しても天皇にはなれない。したがって女系を含む皇統であってもまったく無問題。

このほか、女性天皇には、「女性には、祭祀は無理である」とか「女性天皇では、男性配偶者のいいなりになる恐れがある」とかいう反対論もあるが、「それなら女系の男性天皇なら反対しないですね」と混ぜ返すことが可能である。それに、女性配偶者に好きなように操縦される男性天皇の恐れも同等にある以上、ことさら女性天皇にだけ反対する理由にはなりえない。
また、愛子様天皇になると小和田王朝が誕生すると主張する人もいるが、小和田氏のY染色体を愛子天皇がもっているわけがなく、当然、以下の子孫に継承されることはないので、支離滅裂な主張だ。同様に愛子天皇の配偶者の王朝が成立するためには、以後、男子継承を継続できなければならないので、これもありえない話である。
このように男系継承の必要論の根拠は底が浅いものである。
皇位継承の正統性は、「天皇の血筋に近い皇族が継承する」という方法以外にありえない。現皇室典範のままでは皇族がいなくなってしまうことこそが最大問題なのである。

  • 男系継承の難点

皇太子、秋篠宮をもって現天皇家は絶家、宮家としても残らない。
こういった皇位継承の危機にあたり、とくに男系継承絶対を主張する人達から、問題解決の切札として、旧宮家の復活が提唱されてきた経緯がある。天皇家は現皇室のみと信じてきた60年は貴重である。今後は旧宮家の家系に移行すると言われると、昭和天皇に対する強烈な記憶とともに、いかにも寂しい思いがする。

さて、旧宮家復活と言っても、昭和22年皇籍離脱された11宮家のうち適齢期にある男子を持つ4宮家のみか、そのうち現当主のみか、ご兄弟を含むか(新宮家の創設)、男子のおられぬ宮家も含むのか、すでに絶家となっている3宮家も他の宮家の男子を養子として復活するか、立法目的と、法的公平を巡って一筋縄の議論で収まりそうもない。
旧宮家に独身男性が多いとかいうが(独身男性は下は2歳から上は45歳まで14名おられる)、彼らが本当に結婚するのかもわからないし、どんな女性と恋愛関係にあるのかもわからない。ちなみに、新宮家を創設しなければ、結局独身男子は4人。その4人だって、すべてが「皇族になってもいい」とは言わないだろう。承諾するのは1人か2人と思われる。男系継承は早晩行き詰ることになる。
なぜなら、長男の家系で継承できる確率は2人生めば3/4というが、次の代もクリアできる確率は9/16(56%)、3代クリアするとなると27/64(42%)と、はなはだ心もとないからだ。
「複数の系統でやってもらえば」というが、名乗りを上げている旧宮家男系が複数確保できているという確実な話は聞いたことがない。「兄弟でリレー継承すればよい」といっても、弟がいないかもしれないし、弟がいるからといって跡継ぎをつくる責任を免れるわけでもない。こうした事情で男子誕生という重荷を負わされることを承知でプロポーズを受ける女性が今後現れるかさえ疑問だ。一生を独身で過ごす皇子がおられることも想定する必要があるし、女性の結婚時期の高年齢化と10%の確率でおこる不妊という問題もないがしろにできない。皇室の永続を願う立場にいながら、ただでさえやっかいな世継ぎ問題に男系という制約条件をつけることは愚かなことである。
男系の場合は子孫が女だけになったら終わり、狭義の女系の場合は子孫が男だけになったら終わりである。男系継承は複数女性を孕ませることができるので無制限に子孫を残すことができるが、狭義の女系継承では母体の制限と不妊の問題があり、かならず途切れてしまう。世界中どこにも女系王朝がないのはこのためだし、天皇家が男系継承を伝統にしてきたのもこのためだ。旧宮家が男系を断絶させずにこれたのも側室制度を最大限に利用してこれたからこそである。ところが、一夫一妻制を守るとなると女系継承と同条件となり男系継承は難しい。統計学では不妊率も計算に入れると3世で7割が断絶する。つまり、男系継承の伝統は側室制度や、庶子継承でも可とするシステムとセットでこそ意味があったが、現代社会のモラルに照らせ合わせた場合には受け入れられない伝統なのである。
庶子継承はダメでも傍系継承なら国民の支持も得られるから側室なしでも男系継承は維持できるという願望的意見に固執する人もいるが、傍系に移ればそれが直系になる。一度は受け入れてもらえるだろうが、簡単に直系断絶を繰り返されると国民も愛想が尽きる。それこそ、「皇室はもういらない」といわれる世の中になってしまう。そもそも「男子を生まないと皇祖に申し訳ない」 などと時代錯誤なことを言っていると、男系継承どころか嫁の来てにも困ることになる。
幸い、男女の区別なく天皇の子が天皇になる実子継承を皇室が選択することに国民の多くは賛成している。「男系継承が皇統の伝統だということが分かっていない」といくら主張しても、国民の多くはそんなことを不問にして皇室に愛着を感じてきた。
だから伝統というと、男系とか、Y染色体のことだと思うのは勘違いである。国民は「男系継承が皇統の伝統だということが分かっていない」ということは男系が威信の源泉ではないということなのだ。

子どもを希望する夫婦の10%が、不妊症と言われている。不妊率は年齢が高くなるにしたがいあがり、晩婚化が進む現在この傾向が顕著になっている。

不妊・生殖ガイドシリーズ1 -年齢と妊娠- | さくらライフセイブ・アソシエイツ
 多くの女性が生殖機能が20代後半から30代初期にかけて下降する事を認識していない。
例えば、30歳の健康な女性の場合、毎月、妊娠する可能性が20%あるとみられているところ、40歳に近づくころには、ほぼ5%の確率まで低下します。
年齢は、妊娠する能力に、特に35歳以降、大きく影響する、と認識することは重要です。 (表1参照) 今日の女性は以前と比較して、健康に気をつけていますが、加齢による生殖機能の衰えを補うものではありません。

表1. 年齢と共に上昇する不妊
結婚している女性の年齢グループ別の不妊
年齢 (歳) 不妊率 (%) 生涯子供に恵まれない可能性 * (%)
20 - 24      7            6
25 - 29      9            9
30 - 34     15            15
35 - 39      22            30
40 - 44      29            64
Adapted from Menken J, Trussell J, Larsen U. Age and infertility. Science. 1986;23:1389.
* Historical data based upon the age at which a woman marries

国民統合の象徴として天皇制を「永続させる」ことを考えた場合、「男性でも女性でも継承可」とし、出産にともなう負担をを軽くすることは、当然必要だ。その際に、次の天皇である内親王が青い目の外国人やホリエモンみたいな男と結婚したら大変だというのは「ためにする最低の議論」である。
戦後の皇室が皇太子をはじめとする親王内親王の配偶者選びを如何に大事にしてきたか国民の知らぬところではない。『皇室典範』第10条にも「立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する」と明記されている。有識者会議の報告書もこれを受けて「これと同様に、女性天皇内親王、女王の婚姻についても、皇室会議の議を経ることとする必要がある。」 としている。
また、内親王がご自身の結婚相手を選ぶ際に「国民に支持される配偶者である」ことを第一義的に考慮されるであろうと期待するのが普通である。皇室と国民とが信愛の紐帯で結ばれているからこそ「天皇は国民統合の象徴」なのである。
とにかく皇室の伝統が守られることが大事である。民間人は皇室と婚姻で結ばれて皇族になる。それ以外の方法で皇族になれることを認めるべきでない。婚姻による民間人の皇族化は天皇の許可と皇室会議の議決承認を必要とするから、もっともよい方法なのである。
男系継承に固執する論客の一部に「旧皇族の中から皇位継承順位第1位を決めて内親王を嫁入れさせる」ことを主張する人もいる。しかし、旧皇族の子孫のだれが第1位候補になるのか? そして旧皇族皇位継承順位第1位の方との無理婚を義務付けさせることを法改正でできるとお考えなのか? 法案作成責任者も、実行管理責任者も決められないのに、どうやって実現させるのか? 少しでも生産的なプロジェクトに関わったことがある者なら、たちどころに却下するであろう。それよりは有識者会議の結論にしたがうべきではないだろうか。「男系男子と結婚した場合のみ宮家として存続できる」といった内容を盛り込むべきという反論もあるが、往生際が悪いとはこのことである。皇位を継承させるためには内親王が結婚相手に選んだ男性との間にできた子を天皇にするということで十分である。
さて女帝の配偶者がたまたまであれ、意図されたものであれ、皇統男系男子でありさえすれば、お二人の間に生まれた直系の天皇は女系にしてかつ男系ということになる。この女系天皇が男性ならその子も男系だし、女性ならまた皇統男系男子と結婚すればいい。皇統男系男子は旧宮家だけでないから結婚相手の選択範囲も広げられるのではないだろうか。男系継承を主張する人は、皇室の自由選択にしたら結婚相手が男系男子とは限らないから反対のようであるが、「皇室がお決めになればいいこと」ではなかったのか。
男系継承を主張している人は、今上天皇や皇太子の平和主義的な傾向に不満をもっているトンデモない復古主義者がほとんどだ。今上天皇に向かって、「男系が守れないなら即刻歴史の舞台から退場し、旧宮家皇位を譲位せよ」と命令しているのと、言っていることが本質的に違わない。実に嘆かわしいことである。

「女系継承を容認するが、継承順位は長子優先ではなく、男子優先にすべき」という意見もある。天皇の激務や祭祀の性格、配偶者問題や母体の健康を考えれば男性天皇が望ましいことは明らかである。しかし、天皇親王がいなくとも内親王がいるならば皇位内親王に継承されるシステムに変えるべきである。そこを変えないと、やっぱり男の子が産まれるまで産まねばならないという意識が残るのでよくない。この問題は最後にもう一度皇室に於けるリスク問題として取り扱う予定である。

女性宮家を認めれば、婚姻・出産という儀式を経て男系の皇族男性も複数誕生する可能性が大きい。これに何の保証もないから反対というのはおかしい。傍系男系男子と直系男系女子が複数おられる。お互いに結婚する気がないというのであれば、当事者が誰も男系維持、男系継承を望んでいないことになるわけだから外野が騒いでも無意味ということになる。国民が口を差し挟むことができることではない。天皇はご自身の意向を伝えることができないのであるから、替わりに天皇に(または天皇候補者であられる皇族の方々に)「自由な選択権」をもたせるべきなのだ。


今こそ、国民総力で皇室を守るとき

  • 女系を容認しない限り、危機は続く

秋篠宮紀子様が男の子を産んだら、旧宮家の復活などという机上の空論(旧宮家の復活というアイデアには具体的な宮家リスト・皇族候補リストがない)には誰も見向きもしなくなる。しかし、9月に産まれるのが男の子でも問題は解決しない。仮に「男系が完全に途絶えるまでは女系移行に反対する」というのでは、女性宮家を創ることができない(女系容認となるので)。そして女性宮家を創らないままに、秋篠宮の皇子に嫁す人がいなかったり、子が授からなかったりすれば、皇室の断絶は決定的になるのである。
よく「皇室典範を変えなければいずれ皇位秋篠宮殿下に移る。どうしても親王が不在なら眞子様を次の天皇にすればよい。つまり女系を認めるにしても今急いで皇室典範を変える必要はないのだ」という意見を拝見する。これは完全に間違っている。秋篠宮皇位が移るのが40年後と仮定すると、眞子様は結婚して皇族ではなくなっているであろうから、天皇になる資格もないことになる。このように、天皇になれる条件が、【1に天皇の子孫であること、2に皇族であること】が頭に入っていない人が多いのに驚く。


さて、女系を容認すれば少なくとも女性皇族にかかるプレッシャーは8分の1以下になる。

    • 次代の天皇は男の子でなくてもよいことで2分の1。
    • 兄弟姉妹だれの子でもよいことで2分の1。
    • 宮家の数が倍増することで2分の1。

この違いは大きい。少なくともバッシングされる悲劇は大幅に減ることになる。そもそも旧宮家の男系男性の子どもが天皇になる可能性は、旧宮家の男系男性が現在の皇族女性(内親王3名女王5名のいずれか)と結婚した場合しか考えられない。それも女系容認となる女性宮家を創ることを前提にして始めて実現する話である。
72歳の誕生日を迎えられた天皇陛下が、女性皇族について「その場の空気に優しさと、温かさを与え、人の善意や勇気に働き掛けるという非常によい要素を含んでいる」と述べられているのに、国民の側がいつまでも男系に固執していてよいわけがない。
こうしたわけで皇室存続のためには、内親王や女王が結婚しても皇族から離れないようにお願い申し上げる必要がある。そのように皇室典範を変える必要がある。急いで変えるべきだ。

  • 旧宮家の復活はリスクを増大させるだけ

確かに、「皇族男性が途切れたそのときこそ、旧宮家の男系男子の出番だ」と主張することもできる。しかし、これまで述べたように、天皇になれるのは現役皇族だけである。
皇位の特質は、皇統に属する皇族在籍の方々のみが継承されること。根本的に重要なことは、天皇の子孫として皇族の身分の範囲内にあり、皇位継承者としての自覚をもっておられるかどうか。万世一系天皇とは、天皇位が必ず皇族の籍を有する方に継承されるという意味。旧皇族の復帰を安易に認めるべきでない」(所 功)

先人達が君臣の別を第一義的に考えてきたのは当然のことであった。
民間人であれば、さまざまな人々との付き合いだとか、金銭関係など、「世間のしがらみ」に縛られている。仮に「天皇」(もしくは天皇の親)となる人が特定の人に「弱み」を握られ、その人の意思に操られて行動するようなことがあれば、それこそ天皇制の危機である。
もし仮に、現在の皇族の中からでなく、旧宮家から天皇が出るとなると、経歴や人格に問題のある方が天皇になることも起こりうる。家族、親族含めてスキャンダルがないとも言い切れない。その際に、皇位継承順位を出生順位など機械的な順位にするのか、他に方法があるのか、どうなるにしても悩ましい問題になること必至である。
これがもし皇族女子との結婚という形をとるならば、経歴や人格を調べた上で選択することも可能になる。問題が生じたとしても、生まれた子が天皇になれるのは、女系の血筋で天皇になる資格を受け継いでいるからであり、瑕疵は最小リスクに抑えられる。もし、旧宮家男子が民間人女性と結婚して、生まれた子どもが天皇になるのでは、瑕疵ある場合のフォローがなく、リスクは最大となるのである。


そもそも「世襲」とは「結婚」「出産」という目に見える形で、親から子へ真っすぐ受け継がれていくものである。国民は、そのような繋がりで天皇の前の天皇もその前の天皇も大変良く知っていて、日本国の歴史的な連続性を実感している。ところが、「一夫一妻制・女性の高学歴・晩婚化・少子化」のもとで男系主義を貫こうとすると、「たまたま男子が生まれた宮家に皇位が移っていく」しかない。それでは「国民との紐帯」意識が薄まってしまう。「女系容認だが男子優先」を採用した場合も同じことである。だからこそ「女系容認かつ長子優先」への転換が必要なのである。

さて、内親王天皇になり、その子がまた天皇になるということには何ら問題はないのだが、果たして配偶者が得られるかどうかは先例がないだけに心配ではないか、というのはもっともである。
たとえば、「英国など欧州の王国ではノブレス・オブリージュの考え方を身に着けた貴族階級が存在し、女系でも王室を維持できる基盤があるのだが、日本にはそれがない。日本は戦後、華族制度を廃止した。国のために働くということ、いざとなったら皇室のために人生を捧げるということを教育をする家も学校もどこにもないのである。女性天皇の旦那になるという覚悟を持つような教育を受けている男性が日本社会にはいない」(日本では女系天皇は難しいと思うワケ。 | かみぽこぽこ。 - 楽天ブログ)という意見もある。
しかし、日本の華族制度は、廃止されたが打倒されたわけではない。華族は抹殺されたわけでも胡散霧消してなくなったわけでもないのだ。旧五摂家(近衛、九条、二条、一条、鷹司)、旧清華家(久我、三条、西園寺、徳大寺等九家)などの由緒ある家柄の男性は、互いに惹かれるものがあるならば、内親王の配偶者になることを躊躇しないはずである。
また、「女性天皇と祭祀」「長子優先と男子優先」「配偶者男性の処遇」等を課題として検討するに際しては「終身」のリスクも考察されるべきである。現皇室典範に譲位や退位の規定がないのは、こうした課題が生じていなかったからである。また、天皇が100歳以上長生きする可能性(認知症や延命治療をともなう場合も含めて)を想定していなかったからでもある。このようなわけで、「終身」のリスク(次に皇位を継ぐべき者が70歳まで皇太子時代や摂政時代を送ることもありうる)への対策も問われることになるに違いない。

今、必要なのは、将来の皇位継承に備えて皇位継承の基盤を充実させることではないかと存じます。すなわち、神武天皇以来の男系の血筋を引いた宮家の数を増やしておくことということであります。このままでは皇族自体が絶滅いたします。
そこで、新井白石の事績に学ぶ必要があると存じます。「『平成の新井白石』出でよ!」ということでございます。
八木秀次高崎経済大学助教授)

江戸時代に世襲親王家である宮家(伏見宮桂宮有栖川宮)があったにもかかわらず、新井白石の進言によって閑院宮家が創設された(1710年)。その初代直仁親王は、113代東山天皇の皇子である(実兄に114代中御門天皇)。閑院宮家が創設されたのは、世襲親王家伏見宮桂宮有栖川宮)が天皇の系譜から離れすぎてしまったため、皇位継承先として適当でないという判断が働いたものと推察できる。実際に、1779年に118代後桃園天皇が22歳の若さで崩御したため、直系の皇子がいないという危機を迎えたとき、119代天皇世襲親王家からではなく、閑院宮家から出ている(東山天皇の3世孫にあたる光格天皇)。この事蹟に倣えば「平成の新井白石」は、八木秀次助教授が望む旧伏見宮系の宮家の復活を否定し、女性宮家の創設を進言するはずだ。すなわち『皇室典範に関する有識者会議』、あるいは小泉純一郎こそ「平成の新井白石」にふさわしい。
平成の危機は始まったばかりである。女系天皇を批判すればするほど皇室を危機に陥れることになる。それは男系主義者にとっても本意ではないはずである。そもそもボタンの掛け違いは、八木秀次氏の早とちり、先走り(ミスリード)から始まっている。論理的に納得できる原点に立ち返り、今こそ、「男系」「結婚」「終身」を皇室が抱えているリスクと理解し、早急に対策を立て、国民総力で皇室を守るときである。


参考サイト


執筆に際して以下のサイトを参考にしました。Blogについては、男系主義者の参考サイトが手薄のような印象もあるでしょうが、あえて割愛しています。「伝統」や「精神」や「陰謀」について壊れたテープレコーダーのように繰り返すだけでは、議論の対象になりえません。ここでは開設者の意見もさることながら、投稿コメントが多彩な例を紹介しました。読者層が厚く、一方の意見に片寄らないのは開設者の人徳の賜物かと思います(この趣旨から執筆後に巡回したサイトも順次追加して紹介しています)。


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