ヘーゲルの立憲君主論

国家は市民社会の分裂を停止させるために創出されたが、今度は国家権力を握ろうとして四分五裂する。国家は一つである。つまり分裂してあってはならない。だから当然、その中心は一つでなければならない。しかもこの一つがつねに変化するのであれば国家の安定もままならない。またこの一つが国家を勝手に動かしうるならば、多数意志(デモクラシィ)と衝突する。デモクラシィと衝突せずに国家の中心にしてナンバーワン(一者)たりうるものこそ、国家の概念的統一(象徴)である君主(一者)である。
この一者は、政治の実権を持たず、署名することをもっぱらとし、その地位は世襲によって決まる。一者の子以外は一者になれない。したがって、実質上の最大権力者も一者になることは出来ないし、この一者に比すれば権威において劣り、つねに下位者としてふるまわなければならない。何よりも彼の地位は有期限である。
独裁的に振りまわさないかぎりにおいて、君主(一者)が存在することは、デモクラシィにとって不幸なこと、不備なことではなく、幸運なこと、不備を補完することを意味する。
 『天皇論』 (鷲田小彌太 三一書房 1989)より