天皇の資格条件

      • やや下火になった感のある皇室典範改正論議であるが、この問題の重要性、緊急性はいささかも失われていない。最大の危惧は「皇族がいなくなるかもしれない」という惧れである。また皇室は、「男系」「結婚」「終身」といった大きなリスクに晒されている。このままでは皇室は生き残れないかもしれない。これから連載するのは私にとっての皇位継承問題最終稿である。

天皇の条件は3点ある。第1に日本国の象徴的存在として国民と信愛の紐帯で結ばれていなければならない。第2に皇族による世襲でなければならない。第3に天皇の子孫たる男系男子であることが求められている。
この3条件を完備している次代の天皇候補者は現皇太子と秋篠宮殿下のお二人だけであり、その後となると、9月にお生まれになる秋篠宮殿下の第3子の可能性以外に存在していない。したがって、天皇制の存続を願うならこれまでの伝統を変える決断を強いられることもありうる状況にある。
女性天皇を実現するためには、「男系男子」の原則を捨てねばならないし、何より最大の懸念は、「今の皇室典範のままでは皇族が一人もいなくなってしまう恐れがある」ことであるから、さらに必然的帰結として「男系」の伝統も捨てることを決断せざるをえない。
旧宮家皇位を移すことができれば「男系」の伝統は守られるが、「皇族による世襲」という伝統を破ることになる。


いずれ伝統を変えることは避けられないとしたら、問題はどの伝統を守り、どの伝統はあきらめるか、ということになる。「皇族による世襲」と「男系による継承」を比較して、残すべき伝統はどちらかという問題なのである。そこで、天皇の3条件をもう一度吟味してみると、第1の条件「信愛の紐帯」は必須であり、根幹をなすものであるが、第2、第3の条件は、第1の条件のために必要とみなされている副次的な条件、あるいは形式上の条件である。どちらかというと、第2の「皇族による世襲」は「信愛の紐帯」を成立させるために必須といえる条件であるが、第3の「男系男子」は絶対ではなく、「望ましい」という部類の条件ということにならないだろうか。
以下、詳しく論を追って説明する。

  1. 「国民との紐帯」としての天皇天皇
  2. 皇族による世襲は守らねばならない
  3. 男系継承は皇室の選択に任せるべき
  4. 今こそ、国民総力で皇室を守るとき

割り箸論争の今昔

10年前の知識は役に立たないといわれる。「とくに医療分野は日進月歩だ」といえば聞こえはよいが、要するに生活習慣病に対する決定版といえる治療法が確立しておらず、試行錯誤を繰り返しているというのが現状である。
社会問題も似たり寄ったりだ。問題の発見→対策→解決→新たな問題の発生
と常に動いているので、生半可な知識ではコミットが難しい。
昔、1980年代に、割り箸論争があった。
割り箸は使い捨て商品の代表格であり、「木」でできていることが一見してわかり、使用時間も短いことから、大量消費・大量廃棄の象徴、 森林破壊の象徴と考えられ、MY箸ブームまで起きた。一方で、割り箸擁護論も現れ急速に支持者を獲得したため、割り箸森林破壊論は分が悪くなり、一時影を潜めてしまっていた。

割り箸の材料は間伐材である。間伐材は樹木の成長のために間引きした材木であるから、未成熟であるため柔らかくて建材にはならないが、割り箸には最適である。
切り倒した間伐材を有効活用しないで森の中に放置していると、森林が荒れてきて、それこそ大問題である。割り箸を使えば森林保護になるのである。

このように言われて10年前までは割り箸擁護論に軍配が上がっていた。
ところが、ここ数年の論調は、「割り箸は森林破壊の元凶であり、日本の責任は免れない」という意見が主流を占めているようなのである。

中国産割りばし、5割値上げ要求

しかし、割り箸の輸入の9割が中国産ってはじめて知りました。割り箸って、「他の用途の木材の余りカスで作ってるので、環境破壊にはつながらないもの」と思っていたのですが、中国産の割り箸は伐採して割り箸にしており、ほとんど植林も行っていないそうです。おそろしや。。。

参考:割り箸から見た環境問題
http://www.sanshiro.ne.jp/activity/99/k01/6_18prs1.htm

日本国内で消費されている割り箸は240億膳で、うち96%が輸入割り箸で、そのほとんどが中国産である。中国のやり方というのが、間伐材なんか関係なしに、森林をとにかく丸裸にして、割り箸を作るというものなのだそうである。日本人が無自覚に割り箸を消費することは、そういう中国の無自覚な森林破壊に手を貸していることになる、というのだ。

どうしてこうなっているのかというと、日本はここ15年間でコンビニが増えて、大手3社で年間16億本の割り箸をサービスで提供するようになった。国産では供給が追いつかず、1本5円にもなる。商社が中国に作らせると1本2円以下。こうして、ほとんどが中国からの輸入品になったというのである。

中国で割り箸用として森林が皆伐され、それが日本に輸入されているのが本当の事実だとしたら、箸を作るためだけに外国の木を伐採しているわけで批判は当然といわざるをえない。

私はそれでも「割り箸には罪はない」と考えている。私の「生半可な知識」ではとても自信を持ったことはいえないが、純粋思考的にはいくつかの疑問を指摘することができる。

  1. 割り箸が中国の森林を破壊し尽くすはずがない。
    • 年間240億膳といってもたかが割り箸である。トン数に換算して考えれば、割り箸のせいで中国の森林の一部がハゲ山になったと言われるほど消費されているとは思えない。むしろ、対日批判の一材料として流されたものではないだろうか。
  2. 中国においても割り箸生産は資源の有効活用の側面があるはずである。
    • 国産の割り箸は端材や間伐材、低利用木でつくられてきた。人工林管理のために間引きする際に必ずでる間伐材や、 製材時に余分な部分として出される端材は他に利用方法がない。木材として価値が低く、価格は低い。日本国内で割り箸の需要があったとき、端材や間伐材、低利用木が使用されたのは、安いという経済的な理由であった。
    • この原理は中国にも当てはまるはずである。つまり「木材という利用価値のある資源のうち価値が低く、安い、あるいは建材として売れないものが割り箸になる」はずである。発展途上国が外貨獲得のため目先のビジネスで1次産品を乱獲することはありがちなことであるが、中国の森林皆伐は建材輸出が主目的で、その際に派生する端材や廃材、あるいは利用価値の低い木材が割り箸の材料にされていると断言できる。おそらく、割り箸になるのは皆伐材全体の数%であろう。
    • 「中国においても割り箸生産は資源の有効活用の側面があるはず」という推測にはもう一つ根拠がある。それは間伐材が「未成熟であるため柔らかくて建材にはならないが、割り箸には最適である」と言われていることだ。初期にはシラカバやヤナギなどの原生林を手っ取り早く皆伐して割り箸にしていたかもしれない。しかし中国もバカではない。林間事業・植林事業が進めば、間伐は絶対必要になってくる。そのときには日本の割り箸需要が、中国の森林保護の助けになっているはずである。

社会問題は動いている。動いているから10年前の知識では真実を語ることはできない。同じ理由で近年の事実だけに拘泥しても結論を間違えることがあるのである。

アメリカがメキシコに負けると前代未聞の準決勝に!

残念だが、日本は1:2で韓国に負けてしまった。さて、明日アメリカがメキシコに負けると、1勝2敗での三すくみの順位争いになる。対当該国の日本の失点数は5点(対アメリカ4点、対メキシコ1点)であるから、すでに対日本で6失点しているメキシコは、アメリカに勝っても準決勝に進むことができない(日本は対メキシコ戦は6:1でなく5:1のほうがよかった?)。もし、メキシコが対アメリカ戦で2点以上とって勝つようなことがあると、アメリカの失点数は対日本の3点と合わせて5点以上となるから、失点率で日本の準決勝進出となる。
もしこんなことが本当に起こると、1次リーグから三度の日韓戦となるが、さらにもしも日本が勝つようなことになると、2次リーグから通算3勝1敗の韓国でなく2勝2敗の日本が決勝進出となる。直接の対決も2勝1敗で韓国に分があるにもかかわらずだ。世界一を決めるWBCがこんな方式でよいのだろうか。
今回、こんなことが表面化することはないだろうが、次回開催の際には一考を要する問題のようだ。


準決勝を1組と2組のタスキがけにするという方法もあるが、問題回避にはならないだろう。むしろ今回のように同組どおしで準決勝を行い、「勝率で劣っているほうは準決勝試合に勝ち、かつ総合失点率でも優る場合に決勝進出できる」ルールにしたらどうか。このルールで仮に今回準決勝で日韓戦が行われる場合は、ここまで韓国の失点数4点、日本の失点数7点であるから、日本は4点差以上で勝たないと決勝進出はできないことになる。このほうが両国にとって公平であろう。
さて、日本のプロ野球は来年からセリーグプレーオフを実施することになった。これで場合によっては、両リーグ2位以下のチームどおしで日本シリーズを迎えるようなこともありえるわけである。不公平感を拭い去るためにはやはり一工夫が欲しいところである。
そこで、今回のWBCを観戦して思いついたことを関係者に提案したい。

2位と3位のプレーオフで3位が1位とのプレーオフに進むためには、勝ち越しかつ5試合の合計得失点差がリーグ戦での2位とのゲーム差以上の点差になることを条件とする。このルールで勝ち上がったチームは1位とのプレーオフで、5試合での合計得失点差がリーグ戦で1位が2位につけたゲーム差以上の点差で勝ち越した場合にのみ日本シリーズに出場できる。

この方式を採用することで、プレーオフにリーグ戦の成績を反映させることができ、しかも試合ごとの勝敗への関心だけでなく、「勝ち上がるためには、あと何点、差を付ければよいか」といった、サッカー並みの面白さも加わることになる。ぜひ採用していただきたいと願うのであるが、いかがなものであろうか。

混乱を生じているWBCの順位決定方式

今、6回が終わったところだが、スコアは0-0で予断を許さない試合になっている。TBSのアナウンサーは「日本が勝てさえすれば準決勝進出決定」といっているが、その論拠として「勝率が同率で並んだ場合は直接対決で勝ったほうを上位とするルール」であることをあげている。このため今、眉につばをつけているところだ。

失点率などに変更 WBC順位決定方法変更

 野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アジアラウンド事務局は4日、同率チームの順位決定方法に関する規則変更を発表した。
 同率で並んだ場合に(1)直接対決で勝つ(2)失点が少ない
(3)自責点が少ない(4)打率が高い(5)くじ引きで勝つ−の順で上位を決めるとしていた。しかし(2)と(3)は延長戦やコールドゲームがあった場合に不公平が出るため、失点、自責点をそれぞれイニング数で割った失点率と自責点率に変更された。
                           (了)

[ 共同通信社 2006年3月4日 19:20 ]


私の解釈は、

  1. 三すくみで勝率が同じケースは(1)直接対決で勝つ は無意味であるから(2)失点率の勝負となる。
  2. 日本が1点差で勝てば失点数は同じだが、サヨナラ勝ちを除けば後攻の日本が上位になる。

であった。
試合状況は勝つにしてもサヨナラ勝ちになりそうで予測不能になっているが、投手戦で勝てば、アメリカより上位になることは間違いない。

それはそれ、これはこれで問題はないのだが、そもそも、(1)直接対決で勝つ が順位を決定するケースがあるのか疑問であった。4カ国で争っているのだから、全部で6試合、引き分けなしで考えれば、3カ国が2勝1敗になるケースは、残りの1カ国が必ず0勝3敗であるから、すべて三すくみのケースだけである。1カ国が3勝0敗で残り3カ国が1勝3敗になるケースも考えられるが、これも三すくみ以外はないケースである。
つまり、WBCの順位決定方式は無意味な基準を上位にもってきたため混乱が生じたのであろう。

複眼思考でWBCを観戦すると興味も倍化する

今日のWBC日韓戦は失点数がポイントになっている。
日本は勝って2勝1敗にして(おそらくアメリカはメキシコに勝つであろうから)三すくみでの失点数によって準決勝進出国が決まることになる。ここまでの結果は、韓国の失点数が対アメリカの3点、日本は対アメリカの4点、アメリカは対日本3点、対韓国7点(8イニング)で計10点が確定している。
厳密にいうと失点数ではなく失点率(1イニングあたりの失点数)ということになるので、日本は失点数6点以内に抑えて韓国戦に勝利すればアメリカより失点率で上回り、2点差以上で韓国に勝てば、失点数で韓国に勝てさえすれば失点率で韓国より上位となり準決勝進出が決まる。
これを韓国の立場で見ると、勝てさえすればOK、負けても6失点まではOK。つまり非常に気楽な立場なのだ(7失点の場合は微妙である。韓国は日本戦は先攻であるため、失点率でアメリカと同率となり、自責点も同じならチーム打率の争いになる。なお、8失点以上となると、たとえ1点差での負けでも、失点率でアメリカ、日本、韓国の順となり韓国は脱落する。)
では、アメリカはどうであろうか?
アメリカは日本が負ければOKであるから、当然韓国を応援する。ただし、途中経過が4-0で日本が勝っている場合は、アメリカが準決勝進出できるためには、あと3点以上とって日本が勝つ可能性に賭けたほうがよくなるので、俄然日本応援に切り替わることになる。
テレビや新聞は日本の立場からしか見ていないため、こうした複眼思考ができていない。
私としては、打撃戦で韓国を圧倒して日本が勝ち、準決勝で再びアメリカと対戦する試合が実現すれば最高だと思うのだが。

皇室典範改正論議の行方

報告書「皇室典範に関する有識者会議」は下記の文で最後を結んでいる。傍線部分は「皇室典範改正後に皇室に男子がご誕生になられたとしても女系天皇容認を見直すべきではない」という趣旨であっただろう。

検討に際しては、今後、皇室に男子がご誕生になることも含め、様々な状況を考慮したが、現在の社会状況を踏まえたとき、中長期的な制度の在り方として、ここで明らかにした結論が最善のものであると判断した。
ここでの提言に沿って、将来、女性が皇位に即くこととなれば、それは、近代以降の我が国にとっては初めての経験となる。新たな皇位継承の制度が円滑に機能するよう、関係者の努力をお願いしたい。
皇位の継承は国家の基本に関わる事項であり、これについて不安定な状況が続くことは好ましいことではない。また、皇族女子が婚姻により皇族の身分を離れる現行制度の下では、遠からず皇族の数が著しく少なくなってしまうおそれがある。さらに、将来の皇位継承資格者は、なるべく早い時期に確定しておくことが望ましい。このような事情を考えると、皇位継承制度の改正は早期に実施される必要がある。
当会議の結論が、広く国民に受け入れられ、皇位の安定的な継承に寄与することを願ってやまない


ところが改正議案を議会提出する前に紀子妃殿下ご懐妊である。
報告書は皇太子殿下→秋篠宮殿下というヨコ系より皇太子殿下→愛子様というタテ系を優先させて皇位継承の安定化を図るというものであった。皇位継承は次代に継承させていくのが本線であるから皇位継承の安定化のために既得の順位を曲げてもタテ系を優先させる改正は必要なことであった。しかし、秋篠宮殿下に男子誕生の可能性が現実のものになってきた以上、あえて「長子優先」となる継承順位の改正議案を提出するわけにはいかなくなった。再検討が必至の情勢である。


紀子妃殿下ご懐妊の慶事からは「次世紀にも男系継承の伝統を残したいという」皇室の強い思いが伝わってくる。ならば皇室とともに男子誕生を願うばかりである。一方で、問題を一代先送りできただけであるから、次の代でも男子誕生の願いが繰り返されるであろうことには複雑な気持を禁じ得ない。

男子誕生のあと現在の皇室典範のままで推移し男子の天皇即位を迎えた場合は、皇族は天皇直系の1本のラインが残されているのみで、現在とまったく同じ状況、同じ問題が突きつけられることになる。すなわち「皇族女子が婚姻しても皇族の身分を離れることがないように女性宮家を創出する。男性だけでなく女性皇族が天皇になれるよう、およびその子が性別を問わず天皇になれるよう皇室典範を改正する」問題である。現在との違いは愛子様眞子様佳子様のラインが宮家として残らず、とうぜん皇位継承資格を有さず、秋篠宮の長男のラインだけが性別問わず皇族として存続することになる、という違いである。
どちらが望ましいかということは一概に言えない。現代に生きる我々からすれば前者のほうが好ましいと感じるであろうし、これから生まれてくる世代は後者のみの皇族で十分と思う可能性のほうが高いであろう。
しかし、皇統男系の維持という観点から考えるならば明らかに前者のほうが望ましい。なぜなら、愛子様眞子様佳子様が婚姻後も皇族でおられるなら、結婚相手次第で、たとえわずかな可能性であるとしても男系のラインを後世に伝えられるからである。


「わずかな可能性に皇統の存続を託すわけにはいかない。旧皇族の子孫でも天皇になれるようにするのが正統だ」という主張はなくならないであろうが、私はこうした主張には組しない。
皇族でなくなった者の子孫が皇族になれるとしたら親王内親王と婚姻した場合だけであろう。現在は、親王と婚姻した女性を皇族とする規定であるが、内親王と婚姻した男性も皇族とする規定にしようというのが皇室典範改正の趣旨である。この新規定に基づいて皇族になるしかないのである。「旧皇族の子孫でも天皇になれるようにするのが正統だ」という主張は、「内親王天皇となられる旧皇族の子孫との結婚を拒んではならないとする法律を作るべきだ」と唱えているのと同じことであり、とうてい受け入れられる主張ではない。
ともあれ、今回の慶事は「今上天皇の直系で男系を守りたい」という強い思いの顕れであり、今回の慶事によって「旧皇族の子孫でも天皇になれるようにするのが正統だ」とする傍系移行歓迎組の計画は頓挫したといってよい。付け加えるならば、女子誕生でも慶ばしいことであり、新女性宮家の創出を実現すべきである。男子誕生なら、すぐさま、【現皇族の全員を宮家として存続させ、皇位継承順位は秋篠宮の長男が即位するまでを現在のままとし即位以後を長子優先とする】皇室典範の改正作業に着手するべきである
そして数世紀経ち内親王の結婚相手次第で男系子孫となる皇族の数が十分に増えてくるので、男系のみを皇族として残し長子優先を男子優先に変更すれば皇位継承の伝統に戻すことも可能である(未来世代の天皇および国民が望むならば)。


[追記]
予想の範囲内ではありましたが、田中卓氏への批判はほんとうにひどいものでした。皆、急造の皇統オタクやカルト教に近く何を言ってもムダです。私も男系継承の意義を理解しているつもりですので、一部の政治家や保守的知識人の思考力のお粗末さにはよけい呆れ返っています。

「男系を切りたがっている輩がいる」と脳内被害妄想を膨らまして、現実の制約が見えなくなっているので気の毒ではあるのですが、理解能力に欠ける非常に迷惑なカルト集団になってきているようです。
男系男子の嫡流をもちあげる諸君は、継承順位を明らかにし、「この子が次の天皇です」と宣言し世間の笑い者にならないと、自分らの莫迦さかげんに気がつかないのでしょう(笑)

以下の記事は紀子妃殿下ご懐妊が報道される以前の『草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN 有識者報告書は共産党が30年かけて準備し、狡智に構成?』からの抜粋です。私が呆れ返る理由がわかると思います。元記事を見ればもっとわかります。

唯一の方法は、旧皇族皇籍復帰で

  • 皇籍に復帰する候補としては、2005年 1月1日現在で45歳以下の男系男子に限れば、久邇家、賀陽家、朝香家、東久邇家、竹田家の5家の、合計14名である。
  • 実際に天皇の位につかれる可能性があるのは、この14名中の3名で、東久邇宮昭彦殿下の御男子1名(2歳) と賀陽宮正憲殿下の御男子2名(小学生)の、合わせて3名である(括弧内は1月8日付け産経記事による。
  • 皇位は「今上陛下→徳仁皇太子殿下→(秋篠宮殿下)→X」のXのところである。その頃工期三方とも45歳前後である。

愛子様は皇后になっていただく

  • 愛子内親王にはその皇后になっていただく。ふさわしい方が3人もおられる。うれしいことである。

徳仁皇太子殿下のあと、秋篠宮殿下への継承が短期間あっても、皇位の世継ぎの問題発生がこれから約40年先の2045年頃には必ず起きるが、いま旧皇族皇籍に復帰すれば40年という時間的余裕が出来る。御三方を儲君に治定し即位するまでの40年である。これは天皇となるための教育を受けるには充分の時間である。

この3ヶ月が勝負である

  • この3ヶ月が勝負である。この3ヶ月で日本の運命が決まる。法案提出阻止に失敗したら、今世紀末には日本そのものの存立が危うい状態になるのは間違いない。
  • 皇統が断絶し、天皇が日本にいなくなったら、日本は崩壊していく以外にない。単に日本が日本でなくなるだけではなく、どんな形の日本もなくなる。

30年後の皇位継承順位シミュレーション

皇室典範が変更されずに男系男子に皇位継承されることが堅持され、旧宮家の子孫を皇族とする特別法が施行されているとしよう。当然、傍系の継承順位1位となる皇族は決まっている。
一方、内親王であられる愛子様旧宮家子孫の男性と結婚する可能性がある。ただし、傍系の継承順位1位となる皇族と無理矢理結婚するとは思えない。相手を選べない結婚には国民の多くが反対であろうし、何より年の差がネックになるかもしれない。そのような事情があり、愛子様が選んだ相手は皇族であられるが、次男でもあり、傍系の継承順位第5位あたりの男性であった。

さて、2036年愛子様には10歳と7歳の男の子がいる。愛子様今上天皇の皇女であり、もし2006年に皇室典範が改正されていたならば、次の天皇が愛子天皇であり、皇室の伝統とともに、愛子様の皇子に皇位が継承されていくはずであった。
ところが、今上天皇の次が秋篠宮であり、その次は傍系の継承順位第1位の皇族に皇位が移ることが決まっている。この傍系順位第1位の皇族は40代独身とか、男の子に恵まれずといった否定的材料がないことが救いではあったが、皇居での決められた生活といった皇室の伝統に守られることなく、民間人との付き合いも自由な環境で生育したため、右よりの知識人や政治家が取り巻きにいたりして、国民は象徴天皇の先行きを醒めた目で見るようになっている。ここにきて国民は男系男子の継承が権威なのではなく、皇室の伝統が継承されていることに裏打ちされていてこそ、男系男子継承の権威が感じられることに気がつき始めたのである。
眞子様佳子様も皇族ではないが男系男子の皇統子孫と結婚されているが、相手が皇族男性でないために民間に入ってすでに20年になる。今となってはかなわぬことだが、もし宮家を興していたなら、その皇子たちは傍系の皇族たちよりも皇位にふさわしい権威があることを誰しもが認めるところである。傍系の旧宮家の子孫に皇統に属する男系男子としての権威があるとしても、それは旧宮家の子孫ではないが皇統に属する男系男子であることに権威を認めるとした場合のそれ以上の権威ではありえなかったのである。
皇室の伝統が継承されていることの権威に優るものではなかったのであった。


この皇位継承シミュレーションは、女性天皇までを中継ぎとして認め、その後は特例で皇族となった旧宮家の子孫に皇位を移す方法が採用された場合にも通じる。後悔しないためには、とりあえず、直系の女性宮家が残れるように皇室典範を満場一致で改正しておくことである。これは急ぎの要件である。傍系男子の皇族化は急ぎの要件ではない。だいたいがじっくり時間を掛けて慎重に議論する必要があるし、皇室典範改正後の推移を見ながら継承順位を定め、30年後に国民に問うても十分間に合うことである(30年後はまだ愛子天皇にもなっていない。愛子天皇の次の天皇が即位するのはおよそ80年後である。誰がなるにしてもまだ生まれてすらいない人間である)。