ラビ・モーゼ『日本人に謝りたい』

ユダヤの長老的存在。戦前はルーズベルト大統領の側近として日本を研究し、戦後は対日処理の立案に加わった。本書の評価は「怪しい」というしかないが、天皇を論じた箇所は聴くに値するのでは。)
日本人に謝りたい 第1章

万世一系天皇を戴く日本人は幸せである。日本人からすると、万世一系天皇といってもピンと来ないかも知れない。ほかにどんな天皇があるのか、と反問されるであろう。だから日本人は幸せだと思うのである。
なぜか。ヨーロッパの王朝というものはみな、”混血王朝”である。歴史上、しょっちゅう外国から国王や女王を輸入した。しかも王朝の権力が強くなればなるほど、外国からますます輸入するようになる。なぜか。王朝の権力を弱める必要があるからである。国内から昇格させようとすると当然争いが起こり、国内が乱れるのでまずい。その点外国からの輸入君主は、当りさわりが少なく、しかも飾り物なのでもっとも有効な方法と言うことになる。

ジャン・ジャック・ルソーは「われもし随意に祖国を選べといわれれば、君主と国民との間に利害関係の対立のない国を選ぶ。しかし現実にそのような国があろうはずもないから、やむを得ずその代替物として民主主義を選ぶのである」と言っている。ここにすべてが盛られている。
ここで非常に重要なことをルソーはいっているのである。今日本で絶対の善玉の神として一切の批判をタブー化されている民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物にすぎないということである。私が日本人を最高に尊敬するようになったのも、この天皇制というものの比類ない本質を知ったからである。
日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、また最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に対しては搾取者の地位にあるものである。したがって、亡命するときは財産を持って高飛びする。これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである

ヨーロッパの王朝ではつねに君主と国民の利害が対立している。然るに、日本の天皇制には利害の対立などまったくない。これこそ、君民共治の完璧な見本である。ユダヤ人は、ルソーの言を待つまでもなく、長年このような君主制を夢に描いてきたのである。しかし、祖国を持たないユダヤ人は王を戴くこともできなかった。わずかにユダヤ教を”携帯祖国”として持ち、これによって民族の連帯と発展を推し進めてきたのである。キリスト教国では、このような高尚な理想を持った国は、永遠に現れないであろうと思う。
日本人に謝るから、日本人自身が一日も早くこの理想的な君民関係に覚醒して、日本の国体を復活してほしい。(久保田政男訳 日新報道刊)