鈴木邦男の天皇廃止不可能論

 鈴木邦男氏は右翼のユニークなオピニオンです。最近は「日本人の生活観、家庭観からかけ離れた旧態依然とした価値観を皇室だけには押しつけていいのか」と問題を提起されているようですが 天皇家の掟―『皇室典範』を読む (祥伝社新書)祥伝社)、昔読んだ天皇関連書で一番意表を突かれた『天皇制の論じ方 』(絶版 1990 アイピーシー)を紹介します。

天皇家を国家の庇護下に置いておくのは、天皇が絶大な権力を持てないようにするために必要なのだ。宮内庁を廃止し、皇室警護や、生活費などの皇室費用に税金を使わないとするとどうなるか。皇室は任意団体でもいいし、宗教法人でもいいし、とにかく好きな人が天皇を支えることが自由に出来るようになってしまう。そうなればかえって巨大な力を持つかもしれない。少なくとも創価学会などとは比べ物にならない巨大な力、集団が誕生する可能性がある。また、天皇の権威を私的に利用しようとする人間が出てくる。選挙に出るのも自由、政党を作るのも自由、そうなると共和制になったほうが天皇の力が強くなった...という逆説的な状況にもなりかねない。
要約すると①宗教法人・天皇宗をつくれば、現人神が復活だ。②任意団体「天皇クラブ」をつくり総裁になる。日本版ナチスヒットラーだ。いずれにしても国家内国家ができる。一国民として基本的人権が得られるのであるから、宗教法人をつくり、いくらでも寄付を集められるし、国会議員や総理大臣にもなれる。こういったことになる。その点、立憲君主制のほうがブレーキがかかる。だから天皇が絶対君主や独裁者になることはない。また、他に独裁者が生まれることも阻止できる。

天皇は国民の献金を受けてはならないことになっている。ここにも立憲君主制の制約がある。自由に献金を受けられるようにしたら、いくらでも金は集まるだろうし、どんなことでもできる。それによって力も巨大になるし、献金することによって天皇を利用しようとする人間も出てくるだろう。「我々の税金で天皇を支えるなんてまっぴらだ。そんなのは天皇を好きな人たちだけが金をだしあって支えたらいいだろう。皇太子の結婚式だって、好きな人だけ金を出してやったらいいだろう」と言うのはこうした事情を知らない人たちである。
制度として廃止しても抹殺できないならば一国民として天皇家は残る。そして残る限り、いつまた復活するかもしれない。大体、政治とは無関係に生活し、国民からも忘れられたような時代のほうが長かったくらいだ。よく反天皇論者は「徳川時代は誰も天皇のことなんて知らなかった。それを薩長が見つけ出して国の中心にすえただけだ」という言い方をする。ならば改憲して天皇制を廃止し、皆が知らないような状況が長く続いても、国が危機になったりしてまとまりが必要になったときは必ず思い出されるということだ。そして第二、第三の明治維新は起きる。天皇の血筋が続く限り、この可能性はなくならない。