昭和天皇から受けた感動

昭和天皇崩御され、テレビが追悼番組一色になっていたとき、私は敗戦後の天皇が全国を巡幸する様子を撮った記録映画を食い入るように見つめていた。群衆の前に命を投げ出すかのように、まったく無防備な天皇がいた。のちに公開された『昭和天皇独白録 (文春文庫)』(月刊『文藝春秋』1990年12月号、文春文庫は1995)を読んでもわかるように、天皇の知力、眼力、丹力、記憶力は余人にはとてもかなわぬものがあり、まさに日本の歴史を通観し、凝縮し、体現しておられる。そのお方が歴史の責任を背負って歩んでおられた。私が天皇への認識を改めた瞬間である。

陛下は一度国策が決まって戦うとなったときには、本当に一生懸命戦われたと思いますね。したがって戦争中の天皇陛下というよりは陸海軍を統率する大元帥陛下の発言というのはかなり戦争遂行にご熱心です。それは確かに国家の運命をかけた戦争をやっているのですから、国を滅ぼしたら大変だということで熱心になるのは当然と思います。天皇は本当に熱心に戦ったといってもいいのではないかと思います。
  (半藤一利 文藝春秋専務取締役)


独白録を読んで「天皇こそ戦争指導者だった。やはり天皇の戦争責任は大きい」といった感想をもった人もいるだろう。だが、その日までの私は、天皇を「軍部に利用された人」「お飾り物」と莫迦にしていた。私の周りは皆そんな意見だった。ところが、実際の天皇はきわめて冷静かつ懸命に戦争に関与しようとし続けていたわけだ。
断るまでもないが第2次世界大戦は日本が始めた戦争ではない。ドイツ、イタリアと手を組んだのはまちがいであったが、国際法でも戦争そのものは犯罪行為ではないし、戦地で敵戦闘員を殺しても殺人罪は適用されない。非戦闘員・民間人を殺傷した場合に戦争犯罪が問われることになっている。だから戦勝国アメリカは、民間人を虐殺する指示・命令を行ったヒットラーと明確に区別して天皇を見ていたし、戦後復興に天皇が必要と考えていた。亡命希望があることも想定していたマッカーサー天皇は「皇室の財産をすべて差し出し、これを復興に役立てて国民を窮乏から救ってほしいと申し入れた。マッカサーは感動し、「天皇なしで日本はやっていけない」と確信した。このとき日本憲法の骨格(象徴天皇制)が決定付けられたといって過言ではない。戦後処理の経緯を知らず、「皇室の維持に税金を無駄にしている」などと愚にもつかないことを天皇制廃止の理由にあげる人は恥じ入るべきである。