華族制度

華族(かぞく)とは、明治から昭和22年まで存在した日本近代の貴族制度のことである。
明治維新のとき、公家と旧大名の藩主を華族として、1884年華族令で法的身分に定められた。華族は旧公家・大名藩主家のほか、明治維新勲功者が取り立てられ、その爵位華族令の規定により、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五等爵から構成された。大日本帝国憲法下では、貴族院議員に任ぜられ、それぞれ、公侯爵議員は終身、伯子男爵議員は互選で任期7年と定められ、皇室の藩屏としての役割を果たすものとされた。
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公爵
親王諸王より臣位に列せられた者、旧摂家、徳川宗家、国家に偉勲ある者
侯爵
清華家、徳川旧三家、旧大藩(現高15万石以上)知事、旧琉球藩王、国家に勲功ある者
伯爵
大納言まで宣任の例多き旧堂上、徳川旧三卿、旧中藩(現高5万石以上)知事、国家に勲功ある者
子爵
維新前に家を起した旧堂上、旧小藩(現高5万石未満)知事、国家に勲功ある者
男爵
維新後華族に列せられた者、国家に勲功ある者

制度の終焉
終戦後に起った憲法改正議論の中では、華族制度に関する条項も重要な議題の一つであった。既に廃止は規定路線だったとはいえ、現状の有爵者一代に限り称号を用いることを許す、というGHQ側の内意もあり、昭和21年(1946)3月6日に発表された帝国憲法改正要綱(草案の発表は4月17日)では、華族制度は認めないとしながらも、補則第97条「この憲法施行の際現に華族その他の地位にある者については、その地位は、その生存中に限り、これを認める。但し、将来華族その他の貴族たることにより、いかなる政治的権力も有しない。」とされていた。しかし、この条文は旧憲法下での最後の議会となった第90回帝国議会の審議において「民主化を促進する現代の要請と相容れない」という理由で削除され、華族制度の即時廃止が決定した。新憲法は同年10月7日に修正可決、11月3日公布、翌22年(1947)5月3日に施行された。

日本国憲法 第14条 【法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界】

    1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
    2. 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
    3. 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


この時の有爵者数は公爵17名、侯爵38名、伯爵105名、子爵351名、男爵378名の計889名であった。政府は占領軍、あるいは世論に気兼ねしてか廃止に伴う特別な儀式などは行わず、このため昭和天皇は在京及び近県在住の華族を非公式に招集、5月15日午前10時、皇居に伺候した島津忠重公爵以下204名は表三の間で拝謁し、「この度華族制度は終了した。各自はこれからも祖先の名を辱めないよう努力してほしい」という趣旨の御言葉を賜ったという。かくして、華族明治2年(1869)の誕生から78年、同17年(1884)の華族令制定から63年で、その歴史に幕を降ろしたのである。
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