旧皇族の11宮家

マッカサーとの会見で天皇は開口一番、自己の生命や財産の保証ではなく、国民の財産や生命の保証を求めた。国民を質入れして自己の保身を計る西洋の君主とは逆に、自己を質入れして国民の救済を求めたのであった。昭和21(1946)年、GHQは皇室財産の総額を37億5千万円と発表、そのうち33億5千万円が財産税として国庫に納入された。その結果、残りの財産で全皇族を維持することが困難となり、直宮を除く11宮家51名が皇籍を離脱した。このとき廃止されたのは、伏見宮閑院宮山階宮久邇宮賀陽宮朝香宮東久邇宮北白川宮竹田宮東伏見宮、梨本宮の各宮家である。


伏見宮家から生まれた第102代天皇後花園天皇である。1419年〜1470年(在位1428〜1464)。このとき後花園天皇の配慮があり、伏見宮家を継ぐことになった弟が世襲親王家となった。以後、兄の子は天皇となり、今上天皇へと繋がっている。弟の子は伏見宮家を世襲し、皇位継承資格をもつ皇族の役目を勤めてきた。戦後に臣籍降下したとはいえ、天皇旧皇族との違いは、兄か弟かの違いであったことを忘れてはいけない。というか、今上天皇の出は閑院宮家だが、閑院宮家も元を正せば、伏見宮家なのである。近未来にこの2つの系譜が重なり合うことによって男系の継承、または回復がなされることがあるのではないだろうか。