予想が外れたギャンブラーは
予想が外れたギャンブラーは、その原因をアンラッキーのせいにするなど、自分ではどうにもならない要因のせいであると考えるのに対し、予想を的中させたギャンブラーは、それがたまたまラッキーだったためかもしれないとはめったに考えない。
この研究は、ギャンブラーが儲からない賭けをなぜ辞めようとしないのかという疑問から出発した。過去に何度も損をしているのに、なぜギャンブラーは今度こそ儲かると信じ続けるのだろうか?ギャンブラーは、儲けたときのことはよく憶えていて、損をしたときのことは忘れたり、思い出さないようにしたりしているからだという解釈も成り立つであろう。
しかしながら、実際はもっと複雑である。興味深いことに、ギャンブラーは、自分が賭けに勝ったときと負けたときの個人的な記憶を、きわめて巧妙に改変していることがわかったのである。
彼らの言語報告を分析したところ、彼らは、賭けに勝った場合よりも賭けに負けた場合により多くの時間を割いて検討していた。さらに、報告の内容も賭けに勝った場合と負けた場合とで大きく違っていた。賭けに負けた場合には、それがなければ結果が違ったものになるであろう変則的な「偶然の」要因についてのコメントなど、結果を「覆すような」コメントが多くなされる傾向があった。これに対し、賭けに勝った場合には、結果を当然視したり、もっと極端な結果さえ起こり得たとするような「強気」のコメントがなされる傾向があった。
こうして、賭けに勝ったときはそれを額面どおりに受け入れる一方、賭けに負けたときには、その理由を巧妙に見つけて説明づけてしまうことにより、ギャンブラーは、自分の賭けの勝ち負けの記録を個人的に書き換えてしまうのである。つまり、賭けの負けは「負け」としてではなく、「勝てたはずのもの」として記録されることになる。
ギャンブラーたちが、負けた賭けのほうに多くの時間を割いて検討することは、大変注目すべきことである。
というのも、心理学的理論の多くは、人間は、将来の成功に向けて自信を保つため、過去の失敗は忘れ、成功だけを選択的に記憶しているものだと主張してきたからである。
ギャンブラーたちは、合理性を重んじ、歪みのない認識をすべきだと考えている。そこで期待に反する証拠を単に無視するというようなことはしない。その代わりに、そうした情報を、期待にそうように注意深く巧妙に「もみほぐして」しまうのである。
またギャンブラーたちは、賭けに負けたのは予想が外れたからとするのではなく、もう少しうまい戦略を採りさえすれば儲かっていたはずだと結論づけるのである。
成功や失敗の原因がどこにあるのかの判断においても、自分自信に甘い評価をしがちである。幅広い状況下において、人々が成功の原因を自分自信に求める一方、失敗の原因は外的な要因のせいにしがちであることが数多くの研究によって明らかにされている。
人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)( トーマスギロビッチ 新曜社 1993)
予想法から必勝法は開発できない
ここで競馬必勝法を「トータルで収支プラスになる、実技を含む勝馬発見の方法」と定義する。
競馬を何度かやったことのある人なら、次のようなことを言ったり、聞かされたりするのではないだろうか。これらはすべてまちがいである。
- オッズを見て買い目を変えるやり方は邪道だ。自分の買い目に確信を持てるならば、オッズに振り回されるのはおろかなことだ。皮算用より当てることが先です。
- 競馬に絶対はないのだから、1点勝負はギャンブルです。競馬自体ギャンブルなのだから”ギャンブルの中でギャンブルを打つ”のは禁物です。元返していどに押さえ馬券も買っておくことが大事です。
- なんだお前、タテ目を買ってなかったのか。おれはこの目もあると思ったから、しっかり取らせてもらったよ。
これらに共通しているのは競馬を当てることだとカン違いしていることだ。
◎○▲印に代表されるように、どの馬券を買えば当るかを説く法を予想法という。予想法から必勝法は生まれない。予想法にもいろいろある。タイム理論、血統論、展開論、格付け、調教、パドック、それが解説者の予想であれトラックマンの予想であれ、共通しているのは、オッズと無関係に買い目を決めてしまう(あるいは決めざるを得ない)という点にあり、それゆえナンセンスである。
典型的なベテラン予想家は、さまざまな予想法をミックスさせて検討し、彼らなりの秘法でA馬が最有力馬であるという結論に達する。そしてA馬にかける。あるいは◎を打つ。ベテラン予想家のこのやり方の悲惨な点は、長年の固定観念と長時間の検討の末に導かれた結論が「どの馬が最有力か」ということから脱け出せないでいることだ。それゆえ、負けたときに思うのは、自分の方式を完成させれば「真の最有力馬」を選ぶことができ、必ず勝利につながると理解することだ。
たとえば、有力な馬がA、B2頭いたとしよう。吟味した結果、A馬にかける。
- A馬が勝った場合は自分の予想方式に自信を深める
- 予想外の馬が勝った場合はアンラッキーな原因を探して、それさえなければA馬が勝っていたとする。この場合、自分の予想方式を変える必要はない。
- B馬が勝った場合に、本来B馬のほうが強かったとすれば自分の予想方式に何らかの欠陥があったのではないかと反省し、その予想方式を修正しようと試みる
こうした実りのない努力をくりかえすことによって、その試みの数だけの「ベテラン予想家」が生まれる。
なぜ実りがないかというと、こと的中率という点では単勝にせよ、馬連にせよ、あるいは馬単にせよオッズに示される①番人気の的中率にまさるものはないと考えてしかるべきだからである。この問題に我々はもっと謙虚であってよいのである。
競馬ファンの中にはあなたより、あるいは専門家より、IQ指数がハイな連中や、経験値では誰にも負けないというファンがゴマンといる。老若男女を問わず、あなたや、専門家が一番研究熱心なのではない。当てるということにかけては、無数の智恵や、経験、研究の結晶であるところの①番人気の的中率にまさるものはないのである。
しかしながら、①番人気に賭け続けても儲けることができないことは誰もがわかっている。そこで的中率よりも回収率が問題だ。回収率をいかに高めるかを研究すれば必勝法の発見は不可能ではないと考えることになる。これについてはまた明日以降に論稿することにする。
勝馬推理に重要なのは何か(1)
勝馬推理に欠かせないのはデータの取捨選択である。成績表、調教データ、厩舎や調教師のコメント、専門家の予想などその他データも多彩を極める。GⅠレースともなると出目や占いまででてくる。要は馬の能力に関する正確な評価ができればよいわけだ。
では、勝馬推理に何が重要なのか。
持ち時計 | 走破タイム | 上がりタイム | 着順 | 着差 | 人気 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | クラス | 獲得賞金 | 枠順 | 脚質 | 展開推理 | 距離適性 | コース適性 | 血統 | 馬体重 | 馬体重の増減 | 騎手 | 斤量(ハンディ) | 厩舎 | 調教タイム | ローテーション | パドックでの馬の調子 | 馬場状態と馬の適性 |
など数え上げてみると26のファクターがある。
これら数多いファクターのなかで重要なのはこれだといえるものがあるのだろうか。それともTPOで器用に使い分けて、このレースは末脚勝負で決まり、このレースは血統で決まり、などど言い当てることが可能なのだろうか。レースの結果を知って、よく考えれば買えない馬券ではなかったと思うこともあれば、どう考えても買える理由が見つからないレースもある。つまり外したレースには2種類あって、いわば後付理由の付くレースとどうにも付かないレース(競馬の読みの限界を知らされるレース)があることになる。おろかなのは、そのたびに読みを変えてしまうことである。要は、競馬は当たるときもあれば外れるときもある。自分のやり方がトータルでプラスになっていれば、そのやり方にまちがいはないはずだという信念をもつことが大事なのである。