ファクトへのこだわり――中西準子『環境リスク学』

中西準子は日本の環境工学を思想闘争の場から引き上げて正しい針路へ導いている第一人者である。この方の言にしたがえば、事実からあらゆる思想的な言葉を削ぎ取ることが大事なのだが、私にはなかなか実行できない。ついイデオロギーに依存して論を展開してしまう。そのほうが、事実問題の解明といった面倒な作業をとことんやらなくとも同じイデオロギーの信奉者の支持を集めやすいからであろう。実に安直である。反省のために、中西準子環境リスク学―不安の海の羅針盤』(日本評論社 2004/09)を読み返してみた。
この本のなかに横浜国立大学での「最終講義」(2004年2月23日)が掲載されている。その一節「ファクトへのこだわり」から引用させていただく。少し長い引用になるが、それでも割愛した箇所も多く、また中西準子の素晴らしい業績を伝えることは私の得意とするところではないので、ぜひ本を入手して読んでいただきたい。

ファクトへのこだわり、これが私の三五年に及ぶ大学での研究生活を支えた背骨のようなものです。それはたぶん、言葉への不信感、言葉の無力さ、思想というものへの強い不信感からきていると思います。
先にも書きましたが、小学生の頃に日本共産党の分裂の過程を見て育ちましたので、渦中にいた父がすさまじい理論闘争をする現場を怖いなと思いながらじっと見ていました。そして、思想論争ではどちらが正しいという決着をつけられないものだということを肌で感じました。父の主張が正しいのだろうが、相手の言うことにも理があるなというような感じ方でした。

(中略)

しかし、田丸謙二教授のところでの卒業研究で、はじめて自然科学の良い点に気がつきました。つまり、仮説を立てて実験をすれば、仮説の証明ができるということです。そして、そこで得られた結果はファクトとして認定され、誰も否定できないのでした。つまり論争に決着がつくということです。私は驚いてしまいました。子どものときからずっと考えてきたこと、物事の真偽が評価できるのです。私はこの方法をもっと身につけたいと思いました。

(中略)

浮間処理場の調査結果は、教授や下水道のアカデミア、その外にある旧建設省などとぶつかる問題でした。大きな軋轢、闘争が予感されました。私は大学院を卒業するころから、いわゆる政治闘争のようなものには参加したくないと思うようになっていたので、浮間処理場の結果を発表するなと教授からいわれたときは、少しひるみました。しかし、考えた末、政治闘争には参加しないけれども、自分自身が仕事上でぶつかった問題からは逃げないで、それだけはどんなことがあっても闘おうと思ったのです。
しかし、どこかの組織に入って、そのことを主張するのはいやでした。それは組織に分かれて思想闘争をするということでしたから、どうしてもいやでした。それが結局対立を解くことができないのは、子どものころに思い知らされていました。だから、私が訴える対象は組織ではなく、一人ひとりの個人、組織の中の人も含めての個人でした。
私は自分の出す資料からあらゆる思想的な言葉を削ぎ取りました。思想の闘争になれば、いつまでも対立が解けない。出すべきは事実、これこそが今の思想的な勢力関係を崩す力をもっている。これが自然科学の強みだ。自分は今それをもっている。私はそう考えました。
こうして私はファクトを出すことにこだわりました。ファクトといっても、その人の目を通して見たファクトであり、それはその人の生き方や思想を反映したものですが、しかし、多くの人にとってもファクトと思えるものがあるはずで、それを出したいと考えました。対立を解きたい。少しでも従来の何々派や何々党などに固定された意見の壁を崩したい。そのためには、自分だけでなく、多くの人にとってファクトと思えることを冷静に抜き出し、発表しなければならない。私はこう考えて仕事をしてきました。現場にも必ず足を運びました。

男系での継承を大事にしてきた先人の思いがあること」は動かせない事実である。また「男系での継承を今後も続けていくことが困難になってきたこと」は避けられない事実である。
皇位継承問題を論じる際に、この両方の事実に真正面から向き合わない主張はどれも一面的な、偏屈的な主張に思えてならない。
google:中西準子



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