自分のやり方が一番いいやり方だ

信じたいと思うことがらを信じることができるのは、それに必要な証拠を十分に集めることができたときだけである。こうした点に関して言えば、人は一般に自分が客観的であると思っているということは示唆的である。しかしながら、ここで考えている客観的というのは錯覚である可能性がある。
一般的に言えば、私たちは、自分の好む結論と自分が嫌う結論とに別々の評価基準を用いがちだということである。自分が信じたいと欲している仮説に対しては、仮説に反しない事例を探してみるだけである。これは多くの情報が曖昧で多義的性質を持っていることを考えれば、比較的達成されやすい基準である。これに対して信じたくない仮説に対しては、そうした忌まわしい結論にどうしてもならざるを得ないというような証拠を探すことになる。これはずっと達成が困難な基準である。
 人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)( トーマスギロビッチ 新曜社 1993)

人は誰も自分が重視する特質において自分を高く評価する。注意深いドライバーは注意深さを重視し、運転技術に長けたドライバーは技術を重視する。そのどちらでもないドライバーは、少なくとも自分は礼儀正しいと考え、礼儀を重視する。その結果、どのドライバーも自分は平均以上の良いドライバーであると評価することになる。同じようにして、どの子どもにとっても自分が飼っている犬が近所で一番いい犬であるということになるのである。
     トーマス.シュリング(経済学者)