閑話休題

「神武のY染色体を持つ者はゴロゴロいる」と勘違い(思い込み)している人がまだいるようですが、計算違いしてますヨ。
再追記 12/12 任意の天皇

世代ごとに、男系は減っていく。

しかも単純に減るだけでなく、減った分は残った家系で埋められる。

神武天皇以来、十分な世代が重ねられている。

他方で人口は神武天皇の時代より非常に増えている。

したがって、(神武時代に男系祖先を同じくするという観点での)家系あたりの人口は非常に増え、(神武時代に男系祖先を同じくするという観点での)家系の種類は非常に減っている、といえる。

以上を踏まえた上で、しかも神武天皇男系子孫は相対的に、生き残ったほかの男系のなかでもさらに有利な家系であった、という点がある。

から現存数は相当多数に上るであろう

捨象していることを列挙してみます。

  • 縄文系のY(10万人?)にも男系子孫がいる(日本人を特徴で分類すると弥生系と縄文系は7:3の比)。
  • 神武の時代(弥生系成人男子10万人?)のほかに平安時代までに渡来して日本人になったY(100万人?)の男系子孫も大勢いる。
  • Yは絶えてしまうか、発展するかのいずれかであり、生き残りに成功したYは皆「勝ち組」であるから、それぞれに相当の男系子孫がいる。
  • 「神武のY=最強」だとしても一人勝ちはできない。
    • 「征服した土地の男を抹殺して年頃の娘を奪う」ようなことは日本の歴史にない。
    • Yの同族の娘は近親婚だけを続けることはできないので、他のYの男の子供を産むことになる。
    • 「身分を同じくする者どうしで結婚する」という身分差は厳然としてあった。しかも「高貴な身分」は全体の人口からすれば常に少数である。
    • 苗字を名乗れるのは公家、武士、特別に許された一部の平民だけだった。
      • 誰でも自由に苗字を名乗れるようになったのは明治以降で、由緒ある苗字も、ただあやかってつけたもの、地名からとったものなど、由来はまちまちになっているのが実状である。
    • 日本の人口は江戸時代の3000万人から明治以降急激に増大し、4倍になっている。


以上の考察から、日本の地で成功したYには、神武時代にまで遡って日本の地に足跡があるYとそれ以降に日本に渡来した足跡があるYがあり、この生き残ったYの数を合わせて1万人、現在の日本人男性を6000万人とした場合、それぞれに6000人の男系子孫がいることになる。ひいき目に見ても「神武のY染色体を持つ者」が100万人のオーダーでいるということはないと思われる。「神武のY染色体と区別がつかないY染色体を持つ者」は推定外ということにして。