対案【旧皇族子孫の皇籍復帰を盛り込んだ皇室典範改正法案】はいつできる?

天皇制存続を願う諸君のサイトが浅はかさを競う見本市のようになっているのを悲しく思う。誰一人、旧皇族子孫の皇籍復帰の道筋を付けることができていないことを懸念しないで、復帰を100万言唱えれば実現可能と信じているかのようだ。
私は旧皇族子孫の皇籍復帰を念頭においていないので心配は杞憂だが、皇籍復帰を主張している諸君は、一番肝心な問題である「旧皇族子孫の皇籍復帰を盛り込んだ皇室典範改正法案の作成」を他人まかせにしていてよいのだろうか。皆がみな他人まかせでは未来永劫対案作成はないと思うべきである。思考停止に陥らずにしっかり考えてもらいたいものだ。
旧皇族の子孫とは言っても、皇族として生まれたわけではなく、生まれたときから民間人であり、民間人にまじってふつうに成長してきている。こうした人たちを強制的に皇族にできる法理は存在しない。皇統に属する男系子孫ということをいうのであれば11宮家以外にも候補者は存在する。すると、皇室典範○○条に

  • 皇統に属する男系子孫であることを証明できる者が申し出た場合は皇族とする

というような条項を入れることになろうが、こうした皇族応募者の皇位継承順位をどうするかでひと悶着起こすことになろう。いっそのこと条件付で皇族化を認める法案も考えられる

  • 皇統に属する男系子孫であることを証明できる者が内親王と結婚した場合に限り、その男性を皇族とする

皇族の結婚相手は皇族か華族に相当する者に限られてきたのが60年前までの長年の皇室の伝統である。伝統重視なら、「旧皇族の子孫(民間人の男性)と民間人の女性が結婚して、二人の間にできた子が皇室で育てられることもなく天皇になる」ことを承認するのはおかしい。したがって条件付皇族化でないとスジが通らない。しかしこれでは現代社会の法理には馴染まないであろう。
そこで『有識者会議』が考え付いたのが「内親王が結婚した場合に結婚相手の男性を皇族にして宮家を名乗ることができる」という案であった。内親王および内親王の子にも皇位継承を認めることになれば、皇位は安泰である。さすがに「内親王が宮家を興すことができるのは結婚相手の男性が皇統に属する男系子孫であることを証明できる者である場合に限る」といった条件を付けることはできないが、そこは不文律でよい。


さて、『有識者会議』の案が採用されずに、対案としての「旧皇族子孫の皇籍復帰を盛り込んだ皇室典範改正法案」なるものが採用されることがありえるであろうか。現実政治にコミットする能力があれば、まず、絶対にないと考えるはずだ。そもそも対案が作られることすら怪しいものだ。考えられることは『有識者会議』の案に沿った法案が可決されるか、否決されるか、上程を見送るかである。もし可決されないとなれば事態は深刻である。年齢的に秋篠宮より若い皇位継承資格者が存在しないことになる。つまり宮家で後世に残る宮家が1つもなく、新しい宮家もできずに4,50年後に皇統断絶である。もちろん皇統断絶の責任をとるべきは、皇室典範の改正法案に反対した諸君だ。
対案を放棄して皇室典範第1条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」を「皇位は、皇統に属する男系の子が、これを継承する」に修正するだけにすればよいと戦術変更したところもあるようだが姑息な話だ。女性天皇を認めるならば必然的に女性宮家の創出を視野に入れなければならないわけで皇室典範第1条の修正だけでは済まないのである。修正などという詰まらないことで紛糾して「法案見送り」を目的化する結果が皇統断絶になってしまうことを肝に銘じていただけたい。


天皇制の永続を願っている多くの人たちのなかで意固地なことを言っているのは保守の中の一部の人間だけにすぎない。右翼的保守とか伝統的保守とか真正保守とか呼称はいろいろだが、要するに思想ががった保守の人たちである。思想ががっていても、リーダーが広い視野を持てる人ならまだ安心できるが、視野狭窄状態のリーダーに率いられている場合は間違いに気がつかないものである。
思想を持つことが悪いというのではなく、他人の思想を鵜呑みにしていることが良くないのである。自分でしっかり思考して得た思想なら、その思想の中に自分だけの言葉があるものである。自分だけの言葉がある人は自分で軌道修正できる人である。天皇制存続を願う諸君のサイトが浅はかさの見本市のように傍から見えるのは、思想ががった保守が徒党を組むようになり、とうとう集団催眠にかかってしまったからである。